2012-01-01から1年間の記事一覧
この時まで兄姉5人元気で過ごして来たのに・・・60歳という若さで 胃癌に掛り、姉ちゃんはおろか、みんなが「もう姉ちゃんは長く生きられない のでは?」と其々が心配しました。 有る日、君子から電話が有って・・・「かーこ3人で何処かへ旅行に行こう?」と…
繁ちゃんは47歳の若さで可愛い娘、多美ちゃんの成人式も見ないで、亡くなり 亡くなる前の年に北海道へ転勤のお話しが有って北海道に帰る筈だったのを お兄ちゃんが大学卒業で就職活動を遣ってて、もう一年伸ばして貰ったのよ〜 って言ってたけど〜去年の内に…
ガウンの縫製工場のリーダーのりちゃんから「今晩繁ちゃんが病院から 帰って来るから棺に納められる前にお参りに行かない?」って誘って呉れて 繁ちゃんのお宅にお参りに行きました。普段は綺麗に髪を染めて若々しい 繁ちゃんだったのに〜半年も床について居…
お通夜にはお参りに行きましたが、告別式は仕事を休む訳に行かず 残念しました。でも〜パートで来て何時も彼女と一緒に会社に来て居た 井上さんが「私はパートだから午後から休んで久保山の火葬場迄行って来るね 秋ちゃんの分までお骨を拾って来て上げるから…
6月にご主人の会社の家族の健康診断で引っ掛かりC型肝炎と診断された 繁ちゃんは一旦は元気に成って東邦病院は退院しましたが、仕事は勿論 家庭の主婦の仕事も満足に出来ないほど弱っちゃって、再度今度は浦舟の 市大病院へ入院しました。年明けて一月には娘…
母の告別式を終えて横浜に帰って暫くしたら兄貴(長男)から電話が有って 「財産の名義変更をするからかーこの印鑑証明を貰いに行くから・・・」と 新横浜まで兄貴を迎えに行って、2~3日ゆっくりして行けば良いと思い先ず 帰りに山下公園で散歩して家に帰っ…
母の告別式も無事に終わり、横浜に帰って来て、又お仕事が始まった 久しぶりに会社に行くと繁ちゃんが上大岡の東邦病院へ入院したとか? 聞く所に依るとご主人の会社で家族の健康診断が有って健康診断を受けたら 何故か引っ掛かって検査入院をしたとか? ガ…
母が42歳の時に生まれた和子は兄貴が結婚する迄は泣き虫の甘えん坊でしたが 兄貴が和子が小学2年生の秋に結婚して、其れからは「老後は義雄(長男)に お世話に成らんならんから・・・」と兄嫁を大事にして、今和子は子供を 授かって2児の母親に成って87歳で…
母の告別式には大勢の方がお焼香に来て下さって、珍しい方にも? 「アラッ?和ちゃん暫く〜元気だった〜?」って何人もの方から声を 掛けて貰い、嬉しかった〜中でもお静さん!! お静さんとは母方の従姉妹で、神保のおシゲさんの妹で、つまり雅ちゃんの (…
母がお漏らしを初めて2〜3年は過ぎたでしょうか?和子は遠く離れて居るので 兄ちゃんからの電話で聞くだけで良く判りませんでしたが、やっぱり実家に 帰ると、母の居る隠居だけではなく家中がオシッコの臭いで大変でした。 兄貴の末娘(幸子)がお嫁に行く時…
和子は君子の家の棟上げの為に帰って来たのでは無く母危篤の知らせで 帰って来たんだけど〜人生87年を全うし、2〜3年前からお漏らしを始めた 母の傍で付きっ切りで涙を流す我が子も無く其々に所帯を持って居ると 母の死で泣いてる暇も無いと言うのが現実かな…
母の危篤の知らせを受けて急いで帰って来て、母は依然と昏睡状態で お医者さんも「老衰だからお口に水を含ませて受け付けない時が終わり」と 言い、家族の誰かが見守るだけだった。 君子の家では隠居を建てるのに棟梁から職人さんが大勢来て居るのに「母が …
「母危篤」の連絡を受けて田舎に帰って来た時は、もう既に「かーこ」と 呼んで呉れる元気は有りませんでした。聞く所に依ると心臓から離れた 箇所から人間は冷たく成ると言われますが、母は和子が帰った時は未だ 苦しそうな荒い息をして居ましたが、両手・両…
昭和63年8月、会社の納涼会で上大岡で楽しい一時を過ごし帰り道で 繁ちゃんとヨーカ堂の前で散々立ち話をして家に着いたのは10時を 過ぎて居ました。帰るなり夫から「樋田から電話が有って直ぐ折り返し 電話をする様に・・・」と言われ電話をすると、兄ちゃ…
母が赤い表札を付けられた病室から無事に退院して、相変わらず時々 腹痛で苦しみましたが、認知症の気配は見受けませんでした。 母は和子が幼い頃から「義雄(兄貴)夫婦には老後に世話に成るから〜」と 姉さんの悪口は微塵も言いませんでしたし、零す事も無…
今回の母の病気は医師の誤診で兄姉は散々悩まされました。兄貴は (葬式に成ったら大変・・・)と雨のジャバジャバ降る中を庭の 草むしりをしたり・・・又母が入院する前に繁行さん(君子の夫)が 家の庭に出来たスモモを持って来て、偶々母が居て「お母さん…
兄貴は一度盲腸の手術をした経験は有りますが、タカが盲腸でも一代決心で 3人の娘に遺書を書いて盲腸の手術台に上ったと聞きます。和子は兄姉中の 病気を全部引き受けたの如く、カリエスから腎臓結石・胆石・・・と何度も 手術台に乗りましたが、今母が「胃…
母は、今思い返せば(若しかしたら胆石だったのかな?)って和子は 思うんだけど〜年に2〜3回は「お腹が痛い」と言って苦しみ挙句には 「もう死にたい・・・」と、和子も胆石を患った時は、この世の未練は 何も無く、只(死んで楽に成りたい)と思ったから、…
会社の納涼会で仕事終わって皆さんと上大岡へ行ってご馳走を食べて カラオケを歌って散々楽しい思いをして皆と別れて家に帰るのですが、 帰り道、繁ちゃんと一緒に成って「ヨーカ堂の所まで一緒に帰ろう?」って 話しをしながら帰って、色々話しをして居て気…
今回「母が危篤」と言う電話を貰った時は母は87歳でしたが、母は若い時から 腹痛を良く起こす人で年に数回腹痛を起こしその度に「死にたい・死にたい」と 有る時姉ちゃん(長女)に「お医者さんに行って毒薬を貰って来てくれ」と・・・ その時は大雨が降った…
有る時、繁ちゃんと雑残をして「洋光台の円海山から鎌倉に抜ける ハイキングコースが有るんだけど〜今度行こうね?」って話して居たら 「秋ちゃん、ハイキングに行こう〜」・・・と 正直、和子は気軽な積りで話したんだけど〜いざ繁ちゃんと2人で行く 自身は…
春に成ると毎年会社の慰安旅行で色んな所へバスで行きました。 繁ちゃんはバスに酔うから・・・と時々欠席する事も・・・ でも〜水上温泉に行く時は「私も行くう」って・・・ 「2人で大船のフラワーセンターに行って買い物をして来ようか?」って 話しが纏ま…
ガウンの縫製工場で働く斎藤繁ちゃん、10数年前にご主人の転勤で横浜に来 ご主人は航空会社にお勤めで上大岡から羽田にお勤めとか? やっぱり縫製工場は2階も下も女性ばかりで人間関係が難しい様です。 繁ちゃんはお昼に和子のテーブルの前で息子の大学の話…
2階の縫製工場には中国からの残留孤児の清水さんが・・・ 清水さんはご主人が長野のご出身で中国の残留孤児となり、清水さんは ご主人が日本人とは知らずに結婚し、3人の子供を連れて日本に帰って 来たとか?山手の中国人学校を卒業して日本ジャージに・・・…
会社で慰安旅行に「萩・津和野」へ行きました。羽田に集合でやっぱり 数人で横浜駅の京浜急行の改札で待ち合わせて、羽田へ・・・ 京浜急行に乗ったら山口さんは「家を出がけに剛士から電話が有って 夫婦喧嘩をしたとか?電話に博司が出てはっきりとは聞かな…
山口さんと2人でお昼休みは毎日物置き部屋で、近ツリのパンフレットを 貰って来ては「何処かへ旅行しようか?」って話しが・・・ 丁度その頃、誠も大学に入りサークルで良く旅行に行き「金沢に行って 楽しかった〜」って「ね〜金沢に旅行しようか?でも〜『…
人間関係は難しく、又女性同士の職場は特に難しい。山口さんは、そんな 人間関係の煩わしさから逃れるかの様に、何時も昼休み食事の後は 物置き部屋で2人でお昼寝をしたり、雑残をして過ごしました。 聞く所に依ると、ご主人は何年か前に亡くなり、未亡人で2…
浩二の中学の修学旅行で同級生に暴力を振るわれて大怪我をして帰ってから 後に、もう一度数ヶ月後に又他の同級生の仲間に暴力を振るわれて・・・ 何が原因かは判りませんが、多分真面目な浩二に「生意気だ!!」って 殴ったりしたのでは、家に帰っても落ち込…
次の日に浩二が修学旅行から顔半分赤く膨れ上がりお粗末な格好で 帰って来ました。聞く所に依ると「僕は何もして居ないのに『お前は生意気だ』 と殴って来てビックリした。よっぽど(殴り返して遣ろうか?)って 思ったけど(自分が手を出したら負けに成る)…
「日本ジャージ」では関さんは、ニットの目落ちの修理を和子にも 遣らせたくって、色々小言を言って居ましたが、和子はやっぱり 機械弄りの方が良くって中々穴かがりの修理はしませんでした。 だから余り関さんとは仲良しには???お昼休みに成ると和子の向…