和子のこぼれ話-66〜和子の日常生活―18

会社で慰安旅行に「萩・津和野」へ行きました。羽田に集合でやっぱり
数人で横浜駅京浜急行の改札で待ち合わせて、羽田へ・・・
京浜急行に乗ったら山口さんは「家を出がけに剛士から電話が有って
夫婦喧嘩をしたとか?電話に博司が出てはっきりとは聞かなかったけど???」
って心配して居ました。未だ和子の子供は学生で若夫婦の夫婦喧嘩など想像も
付かず、上の空で聞いて居ましたが、彼女はかなり心配そうでした。
今思えば、高が夫婦喧嘩位で親に話して心配させる夫婦大学出でも大した事
無いなあ?って思います。秋吉台に降り立った頃公衆電話を見つけて剛士君に
電話をした様でしたが、この時の「萩・津和野」の旅行は楽しく
無かった様です。


其れから暫くして剛士君は大阪から本社に転勤に成り、「アパートを探して
遣らなくっちゃ〜」って言ってましたが、結局は自分の家が2階と下で
2世帯住宅に成ってるから・・・2階をリフォームして2階に若夫婦を・・・
和子は子供の頃、兄貴(長男)が同居生活をして兄嫁に苛められて育った
経験上、山口さんに「若夫婦を下にして貴女は2階でのんびり過ごした方が
良いよ?」ってアドバイスをしましたが、「下には仏様(お父さん)が
居るから下は譲れないと・・・結局若夫婦を2階に・・・彼女は下で
博司君と・・・