2012-02-01から1ヶ月間の記事一覧

和子のこぼれ話-82〜お見舞いレター〜

母の告別式も無事に終わり、横浜に帰って来て、又お仕事が始まった 久しぶりに会社に行くと繁ちゃんが上大岡の東邦病院へ入院したとか? 聞く所に依るとご主人の会社で家族の健康診断が有って健康診断を受けたら 何故か引っ掛かって検査入院をしたとか? ガ…

和子のこぼれ話-81〜告別式を終えて横浜へ〜

母が42歳の時に生まれた和子は兄貴が結婚する迄は泣き虫の甘えん坊でしたが 兄貴が和子が小学2年生の秋に結婚して、其れからは「老後は義雄(長男)に お世話に成らんならんから・・・」と兄嫁を大事にして、今和子は子供を 授かって2児の母親に成って87歳で…

和子のこぼれ話-80〜奈良に居るんだって?〜

母の告別式には大勢の方がお焼香に来て下さって、珍しい方にも? 「アラッ?和ちゃん暫く〜元気だった〜?」って何人もの方から声を 掛けて貰い、嬉しかった〜中でもお静さん!! お静さんとは母方の従姉妹で、神保のおシゲさんの妹で、つまり雅ちゃんの (…

和子のこぼれ話-79〜姉さんへのお礼〜

母がお漏らしを初めて2〜3年は過ぎたでしょうか?和子は遠く離れて居るので 兄ちゃんからの電話で聞くだけで良く判りませんでしたが、やっぱり実家に 帰ると、母の居る隠居だけではなく家中がオシッコの臭いで大変でした。 兄貴の末娘(幸子)がお嫁に行く時…

和子のこぼれ話-78〜母の死〜

和子は君子の家の棟上げの為に帰って来たのでは無く母危篤の知らせで 帰って来たんだけど〜人生87年を全うし、2〜3年前からお漏らしを始めた 母の傍で付きっ切りで涙を流す我が子も無く其々に所帯を持って居ると 母の死で泣いてる暇も無いと言うのが現実かな…

和子のこぼれ話-77〜お祝いを買いに行って〜

母の危篤の知らせを受けて急いで帰って来て、母は依然と昏睡状態で お医者さんも「老衰だからお口に水を含ませて受け付けない時が終わり」と 言い、家族の誰かが見守るだけだった。 君子の家では隠居を建てるのに棟梁から職人さんが大勢来て居るのに「母が …

和子のこぼれ話-76〜母の危篤-2〜

「母危篤」の連絡を受けて田舎に帰って来た時は、もう既に「かーこ」と 呼んで呉れる元気は有りませんでした。聞く所に依ると心臓から離れた 箇所から人間は冷たく成ると言われますが、母は和子が帰った時は未だ 苦しそうな荒い息をして居ましたが、両手・両…

和子のこぼれ話-75〜母の危篤〜

昭和63年8月、会社の納涼会で上大岡で楽しい一時を過ごし帰り道で 繁ちゃんとヨーカ堂の前で散々立ち話をして家に着いたのは10時を 過ぎて居ました。帰るなり夫から「樋田から電話が有って直ぐ折り返し 電話をする様に・・・」と言われ電話をすると、兄ちゃ…

和子のこぼれ話-74〜母の思い出―5〜

母が赤い表札を付けられた病室から無事に退院して、相変わらず時々 腹痛で苦しみましたが、認知症の気配は見受けませんでした。 母は和子が幼い頃から「義雄(兄貴)夫婦には老後に世話に成るから〜」と 姉さんの悪口は微塵も言いませんでしたし、零す事も無…

和子のこぼれ話-73〜母の思い出―4〜

今回の母の病気は医師の誤診で兄姉は散々悩まされました。兄貴は (葬式に成ったら大変・・・)と雨のジャバジャバ降る中を庭の 草むしりをしたり・・・又母が入院する前に繁行さん(君子の夫)が 家の庭に出来たスモモを持って来て、偶々母が居て「お母さん…

和子のこぼれ話-72〜母の思い出―3〜

兄貴は一度盲腸の手術をした経験は有りますが、タカが盲腸でも一代決心で 3人の娘に遺書を書いて盲腸の手術台に上ったと聞きます。和子は兄姉中の 病気を全部引き受けたの如く、カリエスから腎臓結石・胆石・・・と何度も 手術台に乗りましたが、今母が「胃…

和子のこぼれ話-71〜母の思い出―2〜

母は、今思い返せば(若しかしたら胆石だったのかな?)って和子は 思うんだけど〜年に2〜3回は「お腹が痛い」と言って苦しみ挙句には 「もう死にたい・・・」と、和子も胆石を患った時は、この世の未練は 何も無く、只(死んで楽に成りたい)と思ったから、…

和子のこぼれ話-70〜田舎から電話〜

会社の納涼会で仕事終わって皆さんと上大岡へ行ってご馳走を食べて カラオケを歌って散々楽しい思いをして皆と別れて家に帰るのですが、 帰り道、繁ちゃんと一緒に成って「ヨーカ堂の所まで一緒に帰ろう?」って 話しをしながら帰って、色々話しをして居て気…

母の思い出

今回「母が危篤」と言う電話を貰った時は母は87歳でしたが、母は若い時から 腹痛を良く起こす人で年に数回腹痛を起こしその度に「死にたい・死にたい」と 有る時姉ちゃん(長女)に「お医者さんに行って毒薬を貰って来てくれ」と・・・ その時は大雨が降った…

和子のこぼれ話-69〜和子の日常生活―21

有る時、繁ちゃんと雑残をして「洋光台の円海山から鎌倉に抜ける ハイキングコースが有るんだけど〜今度行こうね?」って話して居たら 「秋ちゃん、ハイキングに行こう〜」・・・と 正直、和子は気軽な積りで話したんだけど〜いざ繁ちゃんと2人で行く 自身は…

和子のこぼれ話-68〜和子の日常生活―20

春に成ると毎年会社の慰安旅行で色んな所へバスで行きました。 繁ちゃんはバスに酔うから・・・と時々欠席する事も・・・ でも〜水上温泉に行く時は「私も行くう」って・・・ 「2人で大船のフラワーセンターに行って買い物をして来ようか?」って 話しが纏ま…

和子のこぼれ話-67〜和子の日常生活―19

ガウンの縫製工場で働く斎藤繁ちゃん、10数年前にご主人の転勤で横浜に来 ご主人は航空会社にお勤めで上大岡から羽田にお勤めとか? やっぱり縫製工場は2階も下も女性ばかりで人間関係が難しい様です。 繁ちゃんはお昼に和子のテーブルの前で息子の大学の話…

中国・残留孤児

2階の縫製工場には中国からの残留孤児の清水さんが・・・ 清水さんはご主人が長野のご出身で中国の残留孤児となり、清水さんは ご主人が日本人とは知らずに結婚し、3人の子供を連れて日本に帰って 来たとか?山手の中国人学校を卒業して日本ジャージに・・・…

和子のこぼれ話-66〜和子の日常生活―18

会社で慰安旅行に「萩・津和野」へ行きました。羽田に集合でやっぱり 数人で横浜駅の京浜急行の改札で待ち合わせて、羽田へ・・・ 京浜急行に乗ったら山口さんは「家を出がけに剛士から電話が有って 夫婦喧嘩をしたとか?電話に博司が出てはっきりとは聞かな…

和子のこぼれ話-65〜和子の日常生活―17

山口さんと2人でお昼休みは毎日物置き部屋で、近ツリのパンフレットを 貰って来ては「何処かへ旅行しようか?」って話しが・・・ 丁度その頃、誠も大学に入りサークルで良く旅行に行き「金沢に行って 楽しかった〜」って「ね〜金沢に旅行しようか?でも〜『…

和子のこぼれ話-64〜和子の日常生活―16

人間関係は難しく、又女性同士の職場は特に難しい。山口さんは、そんな 人間関係の煩わしさから逃れるかの様に、何時も昼休み食事の後は 物置き部屋で2人でお昼寝をしたり、雑残をして過ごしました。 聞く所に依ると、ご主人は何年か前に亡くなり、未亡人で2…

和子のこぼれ話-63〜和子の日常生活―15

浩二の中学の修学旅行で同級生に暴力を振るわれて大怪我をして帰ってから 後に、もう一度数ヶ月後に又他の同級生の仲間に暴力を振るわれて・・・ 何が原因かは判りませんが、多分真面目な浩二に「生意気だ!!」って 殴ったりしたのでは、家に帰っても落ち込…

和子のこぼれ話-62〜和子の日常生活―14

次の日に浩二が修学旅行から顔半分赤く膨れ上がりお粗末な格好で 帰って来ました。聞く所に依ると「僕は何もして居ないのに『お前は生意気だ』 と殴って来てビックリした。よっぽど(殴り返して遣ろうか?)って 思ったけど(自分が手を出したら負けに成る)…

和子のこぼれ話-61〜和子の日常生活―13

「日本ジャージ」では関さんは、ニットの目落ちの修理を和子にも 遣らせたくって、色々小言を言って居ましたが、和子はやっぱり 機械弄りの方が良くって中々穴かがりの修理はしませんでした。 だから余り関さんとは仲良しには???お昼休みに成ると和子の向…

誠から電話?

事務所から「秋山さん電話〜」と言われ出ると誠からだった? 「もしもし、お母さん?浩二が旅行先で苛めに有って病院に 運ばれたんだって?先生が夕方挨拶に来るって?」と・・・ 浩二は中学の修学旅行で関西に・・・(どうしたのだろう?)って 心配に成っ…

和子のこぼれ話-60〜和子の日常生活―12

洋光台から北団地を抜けて杉田街道を上大岡に向かって自転車で 30分足らず、従業員は50人位の小さな会社で秋は工場へ配属されて 70歳を過ぎた渋谷さんと言うお爺ちゃんと同年代の関さんと言う女性 横編み機専属の根岸さん、責任者の星さん、ワインダーの宮…

和子のこぼれ話-59〜和子の日常生活―11

東芝を解雇されて、又々職探し・・・磯子より遠くへは行きたくないし〜 何処か良い所は無いかな?もうその頃は2人の子供も大きく成って、今度は 2人の息子が高校へ行く頃に成るとお金も掛るし・・・その時和子は 丁度40歳を過ぎた頃、今なら若しかしたら社員…

和子のこぼれ話-58〜和子の日常生活―10

逗子のニットの会社、普通の会社は履歴書を見て面談をして・・・有無が 決まり「採用・不採用」のどちらかの通知が来て決まるのですが、和子の 行った逗子の会社は、履歴書と面談で一応有無を決めて再度3日間 実務面談をして決まる。と言った方式の会社だか…

和子のこぼれ話-57〜和子の日常生活―9

東芝は大きい会社だから福利厚生がしっかりして居るし、9.00〜16.00迄の 週休5日で、最初は大変だったけど〜段々と慣れて来て先ず々だった。 でも最初の12ラインで基盤に部品を挿す流れ作業は本当に辛かった。 和子はやっぱり繊維関係の仕事がしたくって、東…

和子のこぼれ話-56〜和子の日常生活―8

和子の籍を置いた東芝は本社工場の敷地内に「津軽東芝」と言う部所が有って この津軽東芝の12ライン、福光リーダーの下で働くのは本当に厳しかった。 福光リーダーは和子の指のひび割れに同情して挿しのラインを 外したのだろうけど、負けん気の強い和子は外…