和子のこぼれ話-56〜和子の日常生活―8

和子の籍を置いた東芝は本社工場の敷地内に「津軽東芝」と言う部所が有って
この津軽東芝の12ライン、福光リーダーの下で働くのは本当に厳しかった。
福光リーダーは和子の指のひび割れに同情して挿しのラインを
外したのだろうけど、負けん気の強い和子は外される事が溜まらなく
悔しかった。他人は何とも思わないのだろうけど、和子は落ち零れに
された様で、本当に辛かった。でも〜子供を持つ親、(くじけてはいけない)と
自分に言い聞かせ頑張った。その内、東芝の中も不景気風が吹き始め
12ラインもバラバラに・・・本社工場の方へお手伝いに行ったり〜
ラジカセから電話機の流れ作業に変わったり・・・


電話機の流れ作業の時は柴田リーダーの下で働く様に成り、柴田リーダーには
良くして貰った。この津軽東芝の上司は現役の時は音響工場の常務だった
松島常務が、定年後に津軽東芝の責任者でした。柴田リーダーは松島常務とも
親しく、お友達4〜5人と共にフグ料理を食べに連れて行って貰ったり〜
汐見台の「花寿司」に時々お寿司を食べに連れて行って貰ったり・・・
楽しい事も・・・