82歳で長男の嫁に追い出された老親も・・・

       

《和子は又々こんな記事を見た~》

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嫁姑問題、介護、孤独死

子供に見捨てれらた親のヤバすぎる末路

「老後はきっと子供が支えてくれる」

そう期待する親は多い。しかし、子供が同じ気持ちでいるとは限らない。

ウチは大丈夫だと思っていると、思わぬタイミングで子供に裏切られる。

01東京都杉並区に暮らす

石井義一さん(82歳)は、・・・

10年前に妻を乳がんで失った。以来、築40年を超える一軒家で

ひとり暮らしだ。「建坪30坪ほどの家なので大した広さではありませんが、

年齢とともに掃除やちょっとした家のことが負担になってきた。

そこで3年前、長男夫婦に家を建て替えて一緒に住まないかと提案したのです。

直接口に出すことはなかったが、この土地に家を建てさせてやれば、自分の

面倒も見てくれるだろうという甘い期待があった。その頃、横浜に住んでいた

長男家族は、ちょうど子供が中学校に上がる年齢だったこともあって、

「入学のタイミングで越してきたい」と大乗り気だった。

「長男と嫁を交えて、間取りを考えるのは楽しかったですね。

さびしいひとり暮らしが続いていましたから、また家族と過ごせるという

幸福感がありました。正直、彼らと住めるなら、自分の部屋にこだわりはなかった」

子供は2人いたから、子供部屋は2つ。夫婦の寝室に、広めのクローゼット。

キッチンは今どきのアイランド式に。長男夫婦の希望は大きく

膨らんでいく。1階のバスルームわきの暗い納戸のような部屋が石井さんの

居室になったのは、自然な成り行きだった。そこまではよかった。

問題はいざ、同居を始めてからだ。「嫁は専業主婦なので家にいる時間が長い。

最初は気を遣ってお茶を淹れてくれたりもしましたが、だんだん・・・

そのようなこともなくなり、私が居間に長居しているとなんとなく

冷たい感じになる。孫たちも、私がいると好きなテレビが見られないので

機嫌が悪い。自分の家なのにゆっくりくつろげなくなったのです」

仕方がないので、1階のじめじめした狭い部屋で、仏壇に向き合う時間が増えた。

そんな鬱々とした時間が続いたある日、うさばらしに出かけた散歩の途中で転び、

大腿骨を骨折。3ヵ月の長期入院を余儀なくされた。

「退院後は、家に帰りたい気持ちもありましたが、車椅子では

2階の居間にも上がれない。嫁にも『施設で介護のプロにみてもらうのが、

お義父さんにとって一番幸せだと思う』と言われ、結局、八王子の

老健施設に入ることになりました」

長男家族と幸せに暮らす夢は露と消えた。子供に悪気があるわけではない。

しかし、親の期待と子供の本音はいつだってすれ違うものなのだ。

   

02店を継いでくれなかった息子

世田谷区にある商店街で小さな和菓子屋を夫婦で営んでいた只野昌隆さん(75歳)

には、1人の息子と2人の娘がいた。娘2人は嫁に行き、残った息子は独身。

昔から職を転々としたものの、「いずれは店を継ぐから」といって、

和菓子の勉強もしていた。只野さんは二代目だから、たいした歴史が

ある店ではないし、大きく儲かる商売でもない。しかし、古くから続いている

ご近所の客筋がよく、自分の代で店をたたむよりは、息子に看板を継いでほしいと

いう欲はあった。息子に店を譲ったのは3年前。時期が悪かったのかもしれない。

コロナ禍で「お持たせ」の需要は急減。売り上げは激減した。

すると息子は「もう和菓子ではやっていけない」と、800万円の借金をして

高級食パンの店を始めようとした。只野さんは必死で止めたものの、

店の名義もすべて譲っており、最後は「お前の好きにしろ!」と捨て台詞を吐いて、

親子の縁を切ることになってしまった。その後、高級食パンブームも去り、

店はリフォーム前の中途半端な状態で放置状態だ。只野さん夫婦は

大切にしてきた店も失い、期待していた長男にも裏切られることになった。

03投資の切れ目は縁の切れ目

横井雅史さん(64歳)は相続税を減らすために賃貸アパートを

1棟まるまる買ったがために子供たちから見捨てられることになった。

横井さんは2億円のローンを組み、東京都練馬区にある2階建ての賃貸アパートを

3億2000万円で購入したが、経営は思うようにいかなかった。

「すぐ近くにもっと条件のいいマンションが出来たためか、部屋が全然

埋まらなくなってしまったのです。2人いる子供たちも『借金まみれは嫌だ』と

言って、私に寄り付かなくなってしまった。息子たちのためを思ってやった

相続税対策でしたが、逆に親子の縁が切れてしまいました」

04子供の投資話に乗せられて、

家族が崩壊するケースもある。神奈川県鎌倉市に暮らしていた加藤光子さん(69歳)

2人の息子から提案された儲け話に乗ったばかりに悲劇に見舞われた。

加藤さんの家は観光スポットの鎌倉大仏がある高徳院から徒歩15分ほどの

場所にあった。木造二階建ての日本家屋だ。30代の息子たちはそこに目をつけた。

「'19年の4月くらいに東京で働く息子たちが家にやってきて、ここを

民泊施設にしようと提案してきたのです。息子たちは『こういうレトロな家が、

外国人観光客にウケるんだよ』と、すでに2人で話を進めていたかのようでした。

確かに当時は東京五輪が控えていて鎌倉に来る観光客も増えそうだし、

ウチは立地もいいので、儲かりそうだなと思いました。息子たちと共同で

民泊を営むのも楽しそうでした。

それに、夫は前年に脳梗塞で倒れて以来、足に麻痺が残っていたので、

広い家で暮らすには辛そうでした。改装費用や引っ越し費用も息子たちが

出してくれて、家も手放さずに有効利用できるので、悪くない話でした」

   

早速、夫のためのリハビリ施設が近い横浜に賃貸マンションを借り、加藤さん夫婦は

引っ越した。同時に家から家財を運び出し、居間に囲炉裏を作るなど内装を

古民家風にリノベーションした。かかった費用は800万円以上だ。

コツコツと準備を進め、'20年の年明けにようやく民泊を始めたが、

その矢先に新型コロナウイルスが世界中で感染拡大し始め、外国人どころか

日本人観光客も鎌倉から姿を消した。「結局、宿泊客はまったく来ず、

毎月、10万円以上の維持費だけがかかる始末。マンションも、民泊ビジネスが

上手くいく前提で借りたものなので、このままでは、家賃が払えず転居するしかない。

家は宿にしてしまったし、この歳では新しい部屋を探すのは大変なので宿無しに

なってしまいます。息子たちも民泊で儲かったカネで私たちにラク

させたかったのでしょうが、大失敗してから親子仲は険悪になってしまいました」

05生前贈与のかいもなく

近年、生前贈与を行いすぎて子供に見捨てられるケースも増えている。

妻に先立たれた田嶋良二さん(84歳)もその一人だ。

「知り合いのファイナンシャルプランナーから勧められ、子供3人に

毎年、100万円ずつ生前贈与していました。しかし、贈与を始めてから

7年が過ぎたころに脳梗塞になりました。今後のことも考えると、このまま

贈与を続けて、自分の介護費用がなくなるのは不安なので、贈与はいったん

打ち切ることにした。すると、それまで頻繁にお見舞いに来てくれていた

子供たちは、ぱったり来なくなりました」

   

介護してほしいと思って贈与したわけではないものの、手のひらを

返したような子供たちの薄情な態度が恨めしい。

06すれ違った末の孤独死

子供が遺産、カネ目当てで親を老人ホームに入れる場合もある。

山田暁子さん(81歳)は'21年に夫に先立たれ、長男の勧めで老人ホームに入った。

「長男は『実家は俺が管理するし、毎週会いに行くよ』と言ってくれたので

安心しましたが、入居後まったく姿を現さないんです。あとになって、

長女から聞いたのですが、土地を私名義にしたまま、彼が住めば相続税

安くなるからさっさと老人ホームに入れたほうがおトクだと知り合いの税理士に

入れ知恵されたそうなのです。私のことを心配してくれたのかと思ったら、

カネのために利用されていただけでした」

07)介護が原因で子供と絶縁し、孤独死してしまった事例もある。

練馬区に暮らす田中敏夫さん(82歳)は、現役時代は大手銀行で働いていた

ビジネスマンだった。専業主婦の妻との間には40代の一人娘がいた。

田中さんは'18年に妻にがんで先立たれ、その直後に自身も脳梗塞で倒れてしまった。

その結果、手足に麻痺が残り、杖をついての生活が始まった。

   

それによって生活が激変したのは娘も同じだった。田中さんから

相談を受けていた株式会社OAGライフサポート事業推進担当の方が話す。

「娘さんは父に『デイサービスに行ってほしい』と頼みましたが、

田中さんは『そんな幼稚園みたいなところになんか行きたくない。

お前が面倒を見るのが当たり前だ』と言ったそうです。

田中さんは昭和気質の人ですが、娘さんはいまの時代の人。

自分も働き、子育てもしなければならない。そこに父の介護が加わり、

相当な負荷がかかることになったのでしょう。娘さんはストレスでうつ病

患ってしまったのです」それに激怒したのが娘の夫だった。彼は田中さんに

「ウチの妻に金輪際関わらせない」と電話で告げた。田中さんも

「親を見捨てる娘に育てた覚えはない」と反論したという。黒澤氏が続ける。

「田中さんは結局、頼る人がおらず、ひとりで老人ホームに入ることに

なりました。身元保証人が必要でしたが、あんなことを言った手前、

娘さんにお願いできず、そういった支援を行っている弊社を訪れたのです。

しかし、諸々の手続きを終えた後、田中さんに連絡しても電話が

繋がらなくなった。嫌な予感がしたので、すぐに自宅へ向かうと、

田中さんが倒れていて、発見した際にはすでに息を引き取っていました」

田中さんと娘は決して憎み合っていたわけではない。ただ家族の面倒

は家族が見るという考えに囚われていただけだった。しかし、それが原因で

子供や子供の家族との関係が悪化してしまうケースが増えている。ウチの子供なら

大丈夫、と思って、いつまでもアテにしていると悲惨な結末を迎えることになる。

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【銀行の 待つ間しのぎに 孫を連れ(シルバー川柳)】