「口を出さないでください!」!?

《和子は又々こんな記事を見た~》

💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦

52歳の新米女性保育士に立ちはだかる

    “モンスター親子”の「ありえない子育て」

*** *** *** *** *** *** ***

順風満帆に過ごしている日々もあれば、思いがけないトラブルに

巻き込まれたり、人生の分岐点が突然目の前に立ちはだかることもある。

何を選び、どう生きていくか、すべては自分次第だ。
*** *** *** *** *** *** ***

「はーい、リカちゃん、いっぱい食べられるようになりましたね~」

弥生はリカとハイタッチをする。 「うん、今日は3ピカ!」

リカの給食のお皿は5つのうち、3つが空になっている。ついこの間まで

まったく食べられなかったリカにとって、これは大きな進歩だった。

ちなみに3ピカとは、3つの皿がピカピカだという意味だ。

「すごいね~」

弥生はうれしそうに手をたたく。リカは照れくさそうに笑っていた。

こうして子供たちの成長を目の当たりにするたびに幸せな気持ちになる。

娘たちを育てていたときと同じ喜びをまた味わえるとは思っていなかった。

52歳の新米保育士

弥生は52歳の新米保育士だ。

2人の娘の子育てを終え、念願の保育士資格を取得した。自分の子育ての

経験を生かすこともできるし、何より弥生は子供が好きだった。

シングルマザーという経済的な事情から、給料のいい商社で働き続けることを

選んできた弥生にとって、保育士として働くことはずっと抱き続けてきた

夢でもあった。 お昼寝の時間になり、職員室で雑務をしていると、

同じ職員の美和子が話しかけてきた。美和子は25歳で、保育士としては

先輩に当たる。「弥生さん、リカちゃん今日、いっぱいごはん

食べたんですってね」 「ええ、そうなんです。今日は3ピカ」

「信じられない。あんなにグズって食べるのを嫌がってたのに」

「私の娘も同じようなことがあったから。いきなり多い量を見ると、嫌に

なっちゃうんですよね。だから一皿ずつゆっくり食べさせてあげると

けっこういけます」 弥生が解説すると、美和子は納得したようにうなずく。

「すごい、勉強になります」

「無駄に年を取ってますからね。経験値だけはあるの」

「ほんとに弥生さんが来てくれて助かりましたよ。ただでさえ

人手不足だったんで」 「お役に立てて、うれしいです。私もこの仕事を

やれて、本当に幸せなんですよ」

そんな幸せな日々を過ごしている中、とある事件が起こる。

ある事件

職員室で雑務をこなしていると、同僚の保育士が慌てて弥生を呼びに来た。

どうやらけんかが起こったらしい。急いで教室に向かうと、武がワンワン

泣いていた。腕をすりむいたようで、美和子が消毒をしている。

「どうしたの?」「亮くんが突き飛ばしちゃったみたいなんです」

亮は少し離れたところで、鋭い視線でこちらを見ていた。

弥生はすぐに亮を教室から外に出し、話を聞いた。けんかの原因は

オモチャの取り合いらしいことが分かる。

こういう場合は頭ごなしに強い口調でしかってはいけない。きちんと

亮の気持ちを知ることが大事だ。

「何で押しちゃったんだろう?」

「……おもちゃとられたから」

「そっかぁ、それはイヤだったね」

「うん」

「でもね、武くんすごく痛かったんじゃないかな?」

「うん」

こうやって対話を続け、仲直りに持って行く。無理やり謝らせるなんて

ことは絶対にしてはいけない。美和子も武と話をしてくれたことで、2人は

すぐに仲直りをしてくれた。 しかしそれ以外にもやらなければ

いけないことはある。保護者への説明だ。

1番の懸念事項は武の親だったが、きちんと説明をすると、すぐに

理解をしてくれた。問題があったのは亮の母親、涼香のほうだった。

「あなたにその責任が取れるの?」子供をしかり続ける母親

   

夕方、お迎えに来た涼香に弥生は事情を説明する。

「えっ、亮が……」

「そうなんです。でもすぐに仲直りをしたので、問題はないと思うのですが」

「相手の子のけがはどうなんですか?」

「かすり傷だったので、跡が残るようなことはありませんよ」

弥生が説明を終えると、涼香は膝を折り、亮の両腕をつかむ。

「ねえ、どうしてそんなことをしたの? 相手の子がそれで大けがをしたら

どうするの? あなたにその責任が取れるの?」

涼香のけんまくに亮は泣き出してしまった。それでも涼香はしかるのを

止めようとはしない。

「今がどういう時期かあんた、分かってるでしょ? そんなことでどうするの? 私がお父さんに言わないといけないんだよ? そうなるとお母さんが

怒られるんだよ? それ、分かってるわよね? だったら、何でこんなことを

するのよ?」 弥生は思わず、涼香を止める。

「お、お母さん、相手の子もお母さんも気にしてないようですので、

そんなにしかってあげないでください。亮くんだって、反省してますから……」

「こういうのはちゃんと言わないとダメなんです!

 口を出さないでください!」亮は泣きながら大声で謝ってきた。

そんな様子を見るだけで、胸が痛くなる。 涼香は泣いている亮を

引っ張って、帰って行った。2人の背中を見て、弥生は不安を募らせた。

子供たち全員を見送った後、弥生が教室の掃除をしていると、美和子が

話しかけてくる。「なんか、大変でしたね。亮くんママ」

「そうですね。あんな怒り方をすると、亮くんを追い詰めちゃうだけなのに……」

「まあ、でもあそこの家もいろいろあるんだと思いますよ」

「何か複雑な家庭なんですか?」 「というか、エリート家系なんですよ。

亮くんのお父さんもおじいさんもお医者さまなんですって。だから、

やっぱり亮くんもその期待を背負っているんだと思いますよ」

弥生はその説明を聞き、何となく事情を察した。

「この時期がどうって、亮くんママが言ってましたけど、あれって

お受験のことなんでしょうか……」

「そうですよね。何か塾に通わせて、毎日、勉強をさせてるみたいって

話を聞きましたよ」 美和子は大きくため息をついた。

「それぞれの家にはそれぞれの事情があるから、こっちから突っ込んで

何かを言うことなんてできませんしね~」

「そうですね。それは確かにそうなんですけど……」

弥生は歯がゆい気持ちを抱えながらも、亮のことを注視しておこうと決めた。

 これはわが家の問題ですので

ここ数日、亮のことを見ていて分かったことがある。

まず亮は決して器用なわけではないということ。特に自分の気持ちを

伝えるのがうまくいかず、どうしようもなくなるとかんしゃくを

起こすことがあった。しかし感情表現は不器用だが、秀でいていることもある。

「亮くん、何をお絵かきしているの?」

「ママ」

画用紙に向かって一心不乱にクレヨンを握っていた亮が顔を上げる。

画用紙にはニッコリとした人物の絵が描かれていた。

「すごいね、上手だね」

弥生が褒めると、亮はうれしそうに頰を緩めた。

感情表現はあまり上手ではないが、絵を褒めると笑ってくれた。

外で活発に遊ぶというよりも、自分の世界に没頭するほうが好きなようだった。

「どうですか? あれから亮は何か迷惑をかけていませんか?」

涼香はあの日以来、よくこの質問をするようになっていた。

「いいえ、とても楽しそうに遊んでいますよ。武くんとも一緒に

遊んでいましたし」 弥生がそう言うと、ホッとしたような顔になる。

「実は亮くんは絵を描くことが好きみたいなんですよ」

「……試験でもお絵かきがあったわね」

「いや、あの、もっと自由に描かせてあげたほうが……」

弥生の言葉に涼香は鋭い反応を見せる。

「これはわが家の問題ですので」

そう言うとこれ以上は何も言わせてくれなかった。弥生は涼香との壁が

想像以上に厚いことを思い知った。

「保育士の分際で」

基本的にはおとなしくて優しい性格の亮だが、やはり時折けんかに

なってしまう。 子供のけんかなので、どちらが悪いということでは

ないのだが、亮は一度怒り出すと止まらないのだ。

その結果、相手の子をたたいたりして泣かせてしまう。そのたびに弥生や

他の保育士たちが対応することで事なきを得ているのだが、いつか大きな

けがにつながってしまう危険がある。

けんかをしてしまった日は、弥生も頭を抱えた。涼香に何と報告すれば

いいだろうか。考えるたび、泣いたまま引っ張って連れていかれる亮の

後ろ姿が思い浮かんだ。 弥生が亮の手を取って涼香の元へ連れて

行こうとすると、初めて亮が拒否の姿勢を見せる。

「どうしたの? ママが来てるよ」

「いやだ」 亮がそう言って首を横に振る。きっとけんかのことで

怒られると分かっているのだろう。弥生は亮にほほ笑みかける。

「大丈夫。先生がきちんとお話をするから。怒らないようにママに言うからね」

弥生の言葉を聞き、亮はゆっくりと歩き出してくれた。

そして待ち構える涼香に弥生はけんかのことを報告する。涼香は

大きくため息をついた。

「……そうですか。またですか」

怒ってないがあきれたような言い方だった。

「ええ。もちろん、相手の子にけがはなかったのですが」

「分かりました。ほら、亮、行くよ」

涼香は手を伸ばす。しかし亮はその手を取ろうとしない。

「どうしたの? 早くしないと塾に間に合わないから」

涼香はイライラした口調で亮をせかす。しかし亮はそのまま動かない。

しびれを切らした涼香は亮の手を無理やりつかむ。

その瞬間に、亮は大声で泣き出した。

亮の反応に傷ついたような顔をした涼香。しかし次の瞬間には怒りに変わる。

「何よ⁉ どうして私の言うことを聞いてくれないの⁉

あんたも私のことをばかにしてるんでしょ⁉」

涼香の怒声に比例して、亮の泣き声はさらに大きくなる。涼香はしびれを切らし、

亮の腕を無理やりに引っ張る。見ていられなくなった弥生は思わず

2人の間に割って入った。「お母さん、お願いです。落ち着いて。

亮くんと少しだけでいいんで、話をしてあげてもらえませんか!」

「何なの、あんた保育士の分際で」

「亮くんは話せば分かってくれる賢い子です。亮くんは単にワガママを

言ってるわけじゃないんです」

涼香は亮が弥生にしがみついている様子を見下ろしていた。

「差し出がましいことは分かっていますが、亮くんの気持ちを

もう少しだけ考えてもらえませんか。ご家庭の事情はあると思います。

だけど亮くんの気持ちも大事にしてあげてほしいんです」

涼香は弥生から視線をそらす。そらした先で怯えている亮を見て、

悔しそうな悲しそうな顔にゆがむ。 「亮、帰るよ」

涼香は亮の手を引いて園から去っていく。弥生は祈るような気持ちで

2人の背中を見送った。

卒園式

   

春の嵐は過ぎ去って、穏やかな陽光が気持ちのいい日に卒園式を迎えた。

亮はあの日以来、かんしゃくを起こさなくなった。受験には落ちたようで、

地域の公立小学校に入学することになったと別のママさんたちが

うわさしているのを小耳に挟んだが、真偽は大きな問題ではなかった。

亮がよく笑うようになったこと。送り迎えに来る涼香と楽しげに話しながら

手をつないで歩いていること。重要なのはそれだけだった。

「本当にご迷惑をおかけしました。お恥ずかしいことに、亮のことなんて

全然見えてなくて、夫や夫の両親の目ばかり気にして……親失格ですね」

亮とともにあいさつにきた涼香はゆっくりと頭を下げる。

「そんなことないですよ。おこがましいようですが、最近の亮くんは

よくお母さんのお話をしてくれてたんですよ」

涼香は手をつないだ亮に視線を落とす。目元は春の柔らかな日差しを受けて

ほのかに光る。「全部先生のおかげです」

「いえいえ、私は何も」

受験失敗のうわさを聞いたときに唯一気がかりだったのは亮よりも

涼香のほうだったが、どこか気が晴れたような顔をしているので、安心する。

あのとき、誰よりも追い詰められていたのは医者の家に嫁いだ

涼香だったのかもしれない。それでも、涼香はしっかりと亮に寄り添うことを

決めてくれた。この親子はもう心配ない。弥生にはそう感じられた。

「これ、あげる」

「え? 私に?」

亮が丸めた画用紙を手渡してくれる。開くとそこにはまん丸の笑顔が

描かれてあった。

「これ、弥生先生」

「えー、うれしい! ありがとうね!」

弥生が感謝を伝えると、亮も笑ってくれた。

「ありがとうございました!」

はきはきとした感謝の言葉に弥生は思わず涙をこぼした。

そうして涼香と亮は手をつないで笑顔で帰って行く。

その背中を見ながら、弥生はこの仕事に就けたことを本当に幸せだと実感した。

💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦

【年寄りに 渡る世間は 罠ばかり(シルバー川柳)】