やがて来る3.11東日本大震災で、この所テレビでは痛ましい大津波の
ニュースが流れて居ますが、振り返れば50数年昔、和子は3月14日が
結婚記念日で3月11日は親戚の皆様が大勢和子の実家に集まって、和子は
美容院の先生に、綺麗に髪をセットして貰い、付け下げ訪問着を着せて貰って
東京まで結婚式に参列出来ない親戚の方々に内祝いと称し披露宴をして貰い
翌12日の朝、バスで東京へ・・・
小さい頃は泣き虫で、母の姿が見え無いと「お母ちゃん・お母ちゃん・・・」と
泣き喚いて居た和子が事も有ろうに親元を遠く離れて東京へ嫁ぐ・・・
「泣き虫のかーこが『東京へ行く』と喜んで居るけど・・・東京がどんな所かも
知らないで・・・きっと泣いて離縁してもんて来よるほん(帰って来る)と
殆どの皆さんが思って居たと思う。でも~お見合いで結婚する和子には当時は
『夫を愛する。夫に恋をした』と言う実感は無く、只都会に憧れて東京に行ける
喜びだけでした。夫とのお見合いの時に兄貴(長男)と同席し兄貴は彼(夫)
だったら、真面目そうだし大丈夫と太鼓判を押して呉れてお見合いしてから
半年で結婚に至りましたが、父と兄ちゃん(次男)は「何もない東京へ
行かせたくない」と猛反対でした。夫とお見合いをして結婚する迄の半年の
間には兄ちゃん(次男)は自分の連れ合い(兄嫁)の弟さんとお見合い迄
させて反対されましたが、和子の気持ちは変わらず3月11日に内祝いを
して貰って翌12日の朝、父に「長い間お世話に成りました。」とご挨拶を
すると、父は「仏様に参って行け」と・・・顔を上げると父には大粒の涙が・・・
その父の姿を見て仏壇の前でお参りをしましたが、和子の眼にも涙が・・・
10分位仏壇の前から離れられなかった思い出・・・
家の玄関を出て辻から大道に出ると村の人々が大勢見送りに出て下さって・・・
「かーちゃん頑張りな~辛抱しな~旦那さんに可愛がって貰いなよ~」って
言って呉れる皆さん「有難うございます。頑張って行って来ます・・・」
「かーちゃんおめでとう~」じゃ無く「頑張りな~辛抱しな~旦那さんに
可愛がって貰いなよ~」と言う言葉、
余程「泣き虫のかーこが東京何て大丈夫かよ~」って思って居たのでしょうね?
((^▽^笑) )あれから50数年経った~