今は核家族が殆どで子供夫婦と同居生活と言うのは稀にしか有りませんが
父の所帯盛りの時は田舎では代々親から頂いた財産を切り崩しながらも
我が子にはそれ相当の嫁入り支度をし男の子には長男は隠居を建てて母屋を
長男に夫婦に譲る、次男には新屋を建てて嫁を迎えると言うのが常識の
様でした。
和子の生まれ育った故郷も昭和24年に母屋の隣りに隠居を建てて、和子達は
兄貴が結婚すると隠居に引っ越し・・・母屋の方から土間にすのこを引いて
食事は母屋の方で・・・
和子が5歳の時に建てた隠居・毎日大工さんが来てお仕事をされるのに
見惚れて居るといつの間にか母の姿が見えない?此れは大変・・・と
「お母ちゃん~お母ちゃん・・・」と泣きながら母を探す・・・
大工さんの元さんに・・・「泣き虫かーこ」と呼ばれ・・・
良く姉ちゃんに「泣き虫かーこが泣いとるでよ~~~」と言われ・・・
姉ちゃんに「チンと泣き止みなさい・・・チンと泣き止みなさい・・・」って
怒られたのを思い出します。「ほやかて(だって)~おかちゃん(母)
どっか行っていやらせんもん(居ない)え~ん・え~ん・・・」
和子が泣くと煩いから・・・何でも思う様に成ると思ったのか年中
泣いてました。(笑)でも~其れは姉さん(兄嫁)が 来るまで・・・
姉さんがお嫁に来て同居を始めたのは小学2年の秋、もう泣いても
姉さんのケチの上にドが付くケチは「学校で上履きに履く藁草履を買うから
10円欲しい」と言っても、素直に「ハイよ~」と言って貰った事が無かった
そのお陰で和子は大人に成れて、小さい時から身体も弱く、田舎で田んぼ仕事や
畑仕事、山で木起こしなど出来なかったし・・・子供の頃からせめて京都位の
都会に住みたいと秘かな夢を描いて居ました。
「泣き虫かーこが東京へ結婚して行くって絶対に泣いて帰って来る」って
兄貴や姉ちゃんは思って居た様でしたが、東京に嫁いで横浜の6畳一間の
アパートで新所帯を迎えましたが、一滴の後悔もなく、優しい夫に恵まれて
今は最高の幸せ・・・((^▽^笑) )