思い出ばなし・姉ちゃんの思い出―1・・・

 

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姉ちゃんは長女で和子とは15歳年上で、和子が小学4年生の時に

結婚しました。結婚するまでは日夏の「寺島工場」と言う織物工場に勤め

やっぱり寮生活をして居ましたが、子供心に記憶に残るのは、姉ちゃんも

胆石持ちで、会社を休んで実家に良く帰ってた事や、当時は良く

分かりませんが、寺島工場は何回か倒産して実家に帰り、月に一度彦根

安定所に失業保険のお金を貰いに行くのに連れて行って呉れました。

 

未だ兄貴が結婚する迄は、和子は泣き虫で一寸した事でも・・・

直ぐに泣いちゃう・・・すると姉ちゃんは「チンと泣き止み~・

チンと泣き止み~・・・」って怒られて、泣きじゃくりをしながら我慢した事も・・・

 

和子が5歳の時に、兄貴が結婚をするから・・・と母屋の隣りに6畳2間の

隠居を建てた大工さんが・・・母や姉ちゃんの姿が見えないと和子は・・・

「お母ちゃん~・おかあちゃん~」と泣きながら探すと大工さんが・・・

和子に「金O笛」とあだ名を付けて・・・

「とみ~又金O笛が泣いとるでよ~」って姉ちゃんに教えると・・・

「チンと泣き止み~・チンと泣き止み~・・・」・・・って怒る(笑)

 

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でも~「お菓子を遣るから・・・」と言われて貰った記憶は無いなぁ~(笑)

最も彦根の山奥で戦後4~5年の頃、お菓子など有る訳が無い?

新じゃがの皮の附いたのをそのまま鍋で茹でて・・・塩を掛けておやつ代わりに~

又炒り子(はったい粉)大麦やはだか麦を石臼で擦った粉に

砂糖とお湯で練って食べる。戦後の何もない時に母と炒り子を作って食べさせて

貰った思い出・・・((^▽^笑) )

 

  【補聴器を 外し無敵の 父となる(シルバー川柳)