「母、危篤」と最後の知らせを受けて夫に喪服の準備と子供をお願いして
一番の新幹線で実家に帰ったその前日まで、お見舞いに来て呉れた従兄妹と
お話しをして居たそうですが、和子が帰って「お母ちゃん、分る~かーこが
帰って来たよ~」と言っても返事は無く、唯ひたすら眠るのみ・・・
お医者さんから「お水を口に含ませて飲み込めば大丈夫です。飲み込まなかったら
ご臨終です」と言われ、帰った翌日の朝、大きな声で「あにやん~あにやん~」
と叫ばれて母のお兄さんがお迎えに来たのか??? 和子は思わず
「あにやん(長男)を呼んで来たろか?」と答えると・・・母の「あにやん」は
和子のオジサンで、和子の「あにやん」は母の息子で人違いと、理解してる(笑)
母はその時、和子に「水呉れいやい(水が欲しい)と言いましたが、
その言葉が最後の言葉でした。
その日は、君ちゃんのお宅の建て増しの棟上げで兄貴とお手伝いに行って
皆さんにお昼のお膳を作って食べて貰い、お給仕をして居る時に、
姉ちゃん(長女)の旦那さんが「送って遣るから実家へ・・・」と呼んで呉れて
実家に帰りました。
お昼過ぎから寝息が荒く、段々と大きな鼾を搔くように成ってました。
「お母ちゃん・お母ちゃん・・・」と呼んでも返事はなく・・・
足の先から手の指の先は段々と冷たくなって・・・聞く所に依ると
「心臓から遠い位置から段々と冷たくなる」のだそうです。
子供の頃は「お母ちゃん、お母ちゃん・・・」と母の後を追い掛けて母の
姿が見え無いと、大きな声を張り上げて泣き叫び、小学校の1~2年の先生から
「今日は和子さんは14回泣きました」と言われたとか?(笑)そんな和子も
兄嫁と同居して、幼い和子を顧みず、「老後はOO雄に世話に成るから・・」と
兄嫁を大事にした母、そのお陰で泣き虫だった和子も立派に大人にして貰って
遠い横浜で人並みの生活が出来る様に成りました。
君ちゃんの家の棟上げを終わった夜の10.30分ごろに大勢の身内の皆さんに
見守られて母は天国へと旅立たれましたが、最後の頃は一寸オーバーかも
知れませんが、1分間に数回しか息をせず、実家の宗教は浄土真宗で息が切れると
同時に仏壇からリンを持って来てリンを叩くのですが、兄貴が「もう叩こうか?
もう叩こうか?」「ううん、もう一回息をするかも???」と言いながら
待ち続け・・・最後にはコックンと・・・和子は思わず・・・
「お母ちゃん、やっと楽に成ったね?」って???
でも~あの荒っぽい息の根を思うと・・・棺に納められても
「未だ、あの荒い息をして居るのか?」と気に成り・・・何度も覗きに行き・・・
お通夜・告別式を終えて・・・荼毘に伏し、お骨に成ってやっと諦めが
着きました。 87年の人生、8人の子供をこの世に生み落とし3人は母より
先に逝かれましたが、5人の子供を立派に育てて呉れて有難う~
【残るのも 先に逝くのも いやと言う(シルバー川柳)】