和子の生い立ち-10 〜優しい兄ちゃん〜

小学4年生から「カリエス」と言う難病を患い、入退院を繰り返したり
開業医に学校を遅刻しながら注射を打ちに行ったりして
学校も満足に行けず、遂に中学3年生の時は先生から・・・
「後1週間学校を休むと落第生に成ります。遅刻しても早退しても
良いから学校へ来る様に・・・」と言われ、病院を退院してからは
未だ、満足に歩けないのにバスで学校へ・・・帰りは兄ちゃんが
山から帰って来て迎えに来て呉れた事も

兄ちゃんが22〜3才の頃かな?囲炉裏の所で母に「カメラを買っても良いかな?」って
聞いて居ました。母は「お前が稼いだお金で買うんだから良いじゃ無いか?
おとったん(父)も許して呉れるよ〜」って言い結局、兄ちゃんは
カメラを買いました。所が同じ杉林の山ばかり撮っても面白くない
「かーこ、兄ちゃんが面白い所へ連れて行ってるから付いて来い」と言われ
和子は喜んでついて行くと・・・山の上の鉄塔の所でカメラマン
色んな所へ行っては和子はモデルさんでした。
結局、兄ちゃんは(カメラはお金が掛かる)と言う事に気が付き、
そのカメラを、お寺のごえんさん(お坊さん)に売って今度は
カセットラジオを・・・これだと山で仕事をしながら聞ける。
家へ帰って来ると、隠居の内縁に有る和子の机の引き出しに隠し
朝、出掛ける時に持って行く。
有る時、あにやんの娘(節子)が2〜3才だったかな?
和子の机の引き出しのラジオを見つけ「お爺ちゃん、此れ何〜に?」って・・・
おとったん(父)は「此れは良い物を見つけた〜?」って気の入っちゃって
「し〜こ(兄ちゃん)此れワシに呉れよ〜」って・・・
結局、兄ちゃんはおとったん(父)にラジオを取られて買い直し・・・
和子の大好きな兄ちゃん!
父もあにやん(長男)や姉ちゃんも君子も兄ちゃんの事を
「としを」だから「し」だけを取って「し〜こ」って呼んでました
でも兄ちゃんは和子にだけは「兄ちゃんと呼べ」って・・・
やっぱり1人位兄ちゃんって言って欲しかったのかな?