和子の大好きだった兄ちゃんも享年76歳で自ら命を絶ち、
天国に逝きましたが、和子が子供心に昔の事を思い出すと明治生まれの父は
頑固で曲がった事が大嫌いだった様に思います。地道に兄ちゃんと2人で
我が家の持山で炭を焼いて生計を立て、石橋を叩いて渡る堅物な父でした。
其れに比べて兄貴(長男)は商売をして荒稼ぎをして儲けたいタイプで父とは
性格が正反対だったと思います。子供心に父と兄貴は年中意見が合わず
親子喧嘩を良くして居たのが、記憶に残って居ます。
其の親子喧嘩を和子達兄妹4人は見て育ち、2人の姉は学校を卒業すると
織物工場に勤めて社員寮に・・・弟の兄ちゃんは「兄貴の様に親父に
歯向かうより親父の言う事を聞いた方が良い」と判断して父の言う事を
聞いて一緒に炭焼きを手伝って居ました。そんな父も兄ちゃんは
大好きだったと思います。又そんな大好きな兄ちゃんが自分の気に入らない
嫁さんを貰って来ると困るから・・・たずえ姉さんのお父様とはお友達で
自らお願いをして兄ちゃん夫婦の縁結びを・・・昔は、兄ちゃんの時代には
殆どお見合いで恋愛結婚は少なかったし~兄ちゃんも「親父の進める縁談なら
~」と言う感じで結婚したのかも?(笑)
たずえ姉さんは、働き者で病弱な兄ちゃんの片腕と成って頑張って
呉れたし・・・夫婦仲も良かった様に見えたけど・・・果たして兄ちゃんは
幸せだったのだろうか?
当事者に成らないと分からないけど~たずえ姉さんは、兄ちゃんの死後
落ち込んだ様子も見せず、又ご遺体の傍で話し掛ける事も無く、他人様の
お葬式の手伝いに来て居るかの様な感じでした。父が亡くなった時に母は
ご遺体の傍で父と話している姿を思い出しましたが、やっぱり兄ちゃん夫婦は
円満夫婦じゃ無かったのかな?
横浜に帰って数日過ぎた頃に・・・親鸞会の「有難い本」とか言って1冊の
冊子が?此れじゃ昔の学会と同じじゃん?(笑)
和子は早速、「パパが嫌がるから・・・」と言って断って次の月からは
送って来なかったけど・・・君ちゃんや姉ちゃんの所には毎月届けて
来るとか?