復興進むも尽きぬ悲しみ 防災意識の継承は…
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14日で熊本地震から7年を迎えた益城町。4車線化の一部供用が始まった
同町広崎付近の道路延長上に朝日が昇った=13日午前6時10分ごろ、
(谷川剛・小野宏明、ドローン撮影)
熊本県内は16日、2016年の熊本地震の本震発生から7年を迎えた。
幹線道路が寸断された阿蘇地域をはじめ、前震に続いて2度目の震度7に
見舞われた益城町でも、道路や公共施設などの復興は着実に進んだ。
一方で、大切な人を失った人々の悲しみは尽きない。熊本地震では
震災関連死も含め、熊本県内で273人が亡くなっている。けがをした人も
2700人強、住宅被害も20万棟近くに上った。地震の記憶を風化させず、
防災意識をどう引き継いでいくのかといった課題もある。
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地震・かみなり・火事・おやじ・・・
子供の頃には良くこの様な歌い文句を耳にしました。そんな子供の頃は
地震で避難するという事も余り無かった様な?
地震・かみなり・火事・おやじ・・・って昔の親父は頑固な父親が多く
年中「親父のかみなりが???「おやじ・火事・かみなり・地震」って
逆だった様な?
和子が3月に結婚して、横浜の建売住宅の戸建てで階下は住人が住み
2階が3軒のアパートで和子の住まいは真ん中で6畳一間と2畳の台所と
廊下の向かいに押し入れとトイレの有る狭いアパートでした。
2畳の台所には食器戸棚と洗濯機で寝室の角に冷蔵庫が・・・
新所帯を初めてアパートで専業主婦じゃ関西弁が抜けないので子供が
出来るまで共稼ぎをして和子は定時で帰宅し、夫は週4日2時間残業
夫が帰って来る前に掃除と夕飯の支度を・・・
忘れもしない7月17日PM・7.30分に地震が有って最初は・・・
(ア~地震だ~?)って思い暫く台所に立って居ました。
所が地震は縦揺れで「ドスン~」って感じで電機は消えるし・・・
お隣さんが「早く出て来なぁ」って声を掛けて呉れるし~急いで
外に出ようと思ったら足元で扇風機が廻って居て勿論停電で扇風機は
止まってるけど、逃げ出そうにも扇風機に引っかかって出られない?
そうこうしてる内に地震も止まり電機も点いてお部屋に戻ったけど
怖かった~お部屋に入ると大した物は落下して無かったけど~和ダンスの
観音開きの戸が開いて居た。
未だ々横浜に来て数か月、身寄りもない横浜で地震の怖さで落ち込み
(やっぱり田舎に帰りたい)って初めて田舎が恋しくなった
それから暫くして夫が帰って来て玄関のチャムが鳴って夫の顔を
見たとたんに「怖かった・・・」って夫に抱き着いた(可愛い・・・(笑う)
その時横浜は「震度・4」だった。
それから暫く和子は地震恐怖症に成って食器戸棚と洗濯機がくっ付いて
居るので脱水機が廻る度に食器戸棚の食器が揺れて地震と勘違いをして
外に飛び出した事も・・・
あの「震度・4」の地震、一生忘れないと思う・・・
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