今年は新型コロナウイルスで全国的に振り回されて大変な一年でしたが、
この新型ウイルスは未だ々衰えを見せず、この先も見えませんが、
月日の経つのは、早い物で和子の大嫌いな年末が・・・
暮れに成るとお歳暮を贈り、年賀状印刷をして暮れの大掃除面倒ですね?(笑)
若い頃は暮れに成ると数枚の喪中のはがきが届き・・・「父が・・・母が・・・
「叔父・叔母が亡くなりました」と言うのが殆どでしたが、年々「夫が・・・
妻が・・・」に変わり又殆どご無沙汰で元旦に来る年賀状も数少なく成って
年々年を感じる様に成りました。(涙・・・)
年に一度の楽しみのお友達からの年賀状を見ると「高齢に成り、足腰も弱り
今回を最後に年賀状を終わりにします。」と有り寂しい限りです。
振り返れば今から30数年前に47歳の若さで娘さんの成人式を楽しみに
して居たのに半年ほど前から「C型肝炎」を患い娘さんの成人式の晴れ姿も
見ないで天国に逝ったお友達・・・
和子も散々腎臓結石で入退院を繰り返し、当時は未だ携帯電話も無く、病院に
お見舞いに行って、ナースセンターで病院の住所を伺って、お友達は毎日
退屈して居るだろうと思い、毎週一回、同じ曜日に手紙を書いて片道文通を
しました。彼女とは同じ会社に勤めて、毎日お昼には社員食堂で向かい合わせで
昼食を食べる程度で、時々会社の帰りにお茶した程度だったし~
職場が違うから片道文通の話題も有りませんでしたが、とにかく和子からの
お手紙を待ってるだろうと思い、書き続けました。そんな和子の願いも空しく
30数年昔の12月、半年ほど患って天国に旅立って逝きました。
亡くなった知らせを受けて未だ棺に納める前に彼女の職場のリーダーから
「お線香を上げに行こう」と誘われて、彼女のお宅に伺って初めて彼女の
ご主人に逢って、お悔やみのご挨拶をしたら「女房が入院中は度々お手紙を
頂き、取っても喜んで居ました。本当に有難うございました。このご恩は一生
忘れません」と言われて、彼女も和子のお手紙をず~~~と待って居たんだ~と
思い、嬉しかったです。
彼女のご主人は北海道の方で羽田の航空関係のお仕事をされてて、転勤で
横浜に来て十数年とか?丁度彼女が発病する前の年に転勤で北海道に帰る
筈でしたが、息子さんが大学の就職活動にブツかって「息子を一人横浜に
残して北海道に帰るのは可哀そうだから一年転勤を伸ばして貰ったのよ」
って彼女が言ってましたが、その彼女も亡くなって・・・ご主人も転勤で
翌年の3月には北海道に・・・
北海道にお帰りに成った年から盆暮には毎年北海度の特産物が送られてきて
「もう彼女も亡くなったし・・・お気遣いは今回で・・・」と度々お礼を兼ねて
お断りをしたのですが、「僕の感謝の気持ちです。お気になさらないで受け取って
下さい」と・・・流石に7回忌迄・・・彼女の7回忌を期に終止符を打って
頂きましたが、此処2年前まで年賀状が・・・昨年と一昨年の暮れには
「誰々の喪中で・・・」ともう30年も年賀状交換をして・・・彼女のご主人も
彼女が亡くなって数年の間に再婚されて・・・もう年賀状も終わっても
彼女怒らないよね?((^▽^笑) ) 長い間有難うございました。M(_ _)m
【カルチャーに 先輩顔の 妻が居る(シルバー川柳)】