《和子は又々こんな記事を見た~》
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母が認知症に東京都世田谷区長が
「認知症条例」で目指す幸福感
今年10月、世田谷区は「認知症とともに生きる希望条例」を施行した。
当事者や家族の意思を尊重した内容で、“認知症のバリアフリー”を目指す。
全国的に認知症患者や家族をサポートする自治体は増えているが、
今回の条例を施行した世田谷区長に、その思いを聞いた。 * * *
5年前に亡くなった私の母も認知症でした。5年ほど患っていました。
認知症と聞いたとき、「母が違う世界に行ってしまった」とは思いませんでした。
でも、1日前の記憶がなかったり、好きだったニュースを見なくなったりとか、
できなくなることが目立つようになりました。介護していた妹は、
「母が別人格になった」とショックを受けていました。 認知症になると、
「何もできなくなる」という考えがあります。しかし、母は自分で考えていたし、
人生の中で培ったものを簡単に忘れることはありませんでした。
特に昔の記憶は鮮明に残っていました。好きな歌や戦争中のこと、
自分の少女時代のことです。母は一流銀行に就職しましたが、
鼻をつまんで先生のふりをして「この子は特別に素晴らしいから採用してくれ」と
電話したそうです(笑)。つらいこともありましたが、そんな母と向き合って
話を聞きました。 記憶がなくなるハンディがあっても好きなことはできます。
それをするのは本人の幸福感につながるし、家族もうれしい。 当時の母の
周りには、認知症の親がいる家族が語り合う場がありませんでした。
家族が面倒を見なければという意識も強かった。当時はまだ、
人格を否定するような対応も見受けられました。こうした状況は変える必要が
あります。 国会でも認知症基本法(案)が議論されます。世田谷区のように、
認知症の方の意思が尊重され、自分らしく生きる“希望”が持てる理念を
入れてほしいです。「認知症」という3文字で絶望を感じるような
社会のままではいけません。
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和子の兄嫁は81歳で自宅の裏の崖に転落して即死状態だったと言います。
兄嫁は75~6歳の頃からまだらボケが始まって、普段は普通の生活を
兄貴(長男)と2人で和子が生まれ育った実家で余生を送って居ました。
兄貴が76歳の時に脳梗塞を患い、外見は全然分かりませんでしたが、間脳を
侵されて字を書く事も記憶力も判断力も失くし、廃人同然の兄貴に・・・
そのショックで兄嫁は有る日、ポンと耳が聞こえなく成りチグハグな夫婦に
其れから段々と兄嫁は認知症が酷く成って・・・原付バイクで彦根インターから
名神高速道路に侵入をして、パトカーで追い掛けても耳が聞こえず一車線
封鎖して兄嫁の前にパトカーを停めて大騒ぎを起こしたり・・・
大変だったそうです。兄貴は80歳でこの世を去りましたが兄貴のお葬式の時も
「あんた達、家のお父さんの写真を飾って何しとるん?」って???
兄貴が亡くなって2年程過ぎた夏に「仏様に提灯を飾って上げる」と言って
茶の間で支度をして居てろうそくを零して、末娘(姪っ子)が兄嫁の
お守をして居て「私がろうそくを拾って上げるから・・・」って言うのに・・・
兄嫁は自分で土間に拾いに行って足を踏み外し崖から転落して即死だったとか?
当時兄嫁は白血病に掛かりお薬を飲みドクターから「余命1年」と
言われて居たそうですが・・・跡取りの姪っ子は「布団の上で安らかに天国に
送って遣りたかった・・・」と・・・