明治生まれの両親で5人兄姉の末っ子に生まれた和子は上の兄姉に従って
子供の頃は兄貴を(兄やん)と呼び、姉は(姉やん)と呼んで、父は次男坊で
和子の家にはお爺ちゃんもお婆ちゃんも無く両親は山で働き、兄貴や姉に
育てられました。長男の兄やんとは20歳も歳が離れ長女の姉やんは15歳
次男以下は其々に呼び捨て・・・でも~次男は和子には「兄ちゃんと呼べ~」と
言って兄姉中で一番可愛がって呉れました。
今回は兄やんのお話し・・・兄やんは長男で何と無く、煙ったい存在で姉やんと
兄ちゃんは取っても仲良しで殆ど和子は姉やんと兄ちゃんに大きくして
貰ったって感じでした。だから幼い頃のあにやんの思い出は余り、有りませんが・・・
兄やんは和子の子供心にの記憶はだらしない人でした。
脱ぎ捨てた上着やズボンのポッケには何時も小銭が入って居ました。
小学2年生の時に兄やんは結婚して同居生活を始めましたが、兄嫁は女系家族で
お金に倹しい人で、和子が「学用品を買うから10円頂戴」と言っても一度で
「ハイ10円」と気持ち良く呉れた事は殆んど有りませんでした。
幼い和子は「学用品を買うから10円頂戴」と言うのが苦痛で・・・
兄やんの脱ぎ捨てたズボンや上着を見つけては、揺すって見て
チャリン・チャリンと言うお金を音がすると半分調達、子供心にも、
してはいけないと心得て居ても姉さん(兄嫁)に「学用品を買うから10円頂戴」と
言うのが苦痛で・・・この様な悪さも何度かしましたが、
だらしない兄やんは自分でポッケに幾ら入って居たかも知らない人だったから・・・
中学に成ってからだと思うけど~姉やんが「今度の日曜日に美容院に行くから
子供のお守りに来て欲しい」と頼まれて、朝、自転車で姉やんの家に行くと
姉やんは出掛けて居て居なかったから・・・家の近くの桃ノ木峠まで帰って来たら
兄やんが自転車で出掛けるのに出会いました。「かーこも行く~~~」と言って
兄やんの後を付いて行くと「来るなよ~」って何度も怒られたけど・・・
「か~こも行く~~~」と付いて行ったら・・・
彦根の銀座に有る「ミツワ食堂」で美味しいうどんを
食べさせて貰い嬉しかった・・・なぁ~
兄やんの子供の頃の思い出はそれ位かな?((^▽^笑) )