《和子は又々こんな記事を見た~》
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ALS嘱託殺人、残された父の独白
「死に目に会うこともできなかった。悔しい」
写真アルバムをめくると、旅先のエジプトや欧州で、はじけるように笑う女性が
現れた。自ら依頼し、殺害された筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者の
林優里さん=当時(51)。京都新聞社の取材に応じた父親(79)は
「精いっぱい生きた。娘本人が納得して選んだこと」と自らに言い聞かせる一方、
「あまりに突然の別れで死に目に会うこともできなかった。逝く方も残された方も
つらい」とつぶやいた。
■発症後も明るく気丈で、父親の支えだった
優里さんは同志社大を卒業後、一度は東京の商業施設に就職。退社し、
設計士を目指して米ニューヨークで長く暮らした。
2001年には父親を現地へ招いた。「アルバイト先の日本料理店や本場の
ジャズ演奏会に連れていってくれた。本当に楽しい旅だった」と懐かしむ。
優里さんは帰国後の11年ごろから体に異変が現れ、ALSと告知された。
高齢の父親にかかる介護負担を気遣い、マンションでの一人暮らしに挑んだという。
当初は公的ヘルパーの派遣が1日24時間埋まらず、空いた時間は父親が
ケアにあたった。「(五十音を記した)文字盤で一文字ずつ字を追ううち、
前の文字を忘れて、話がつながらなかったり。たん吸引もやったけど、
うまいことできしまへんでしたな」。車いすを押して、よく自宅の回りを散歩した。
約20年前に妻を亡くした父親にとって、明るく気丈な長女の優里さんは
心の支えだった。
■車いすでハワイ旅行、一方で「生きるかどうか」の選択に涙
発症から7年を過ごしてきた。「優里はALSになっても、自分でホテルを
予約して車いすでハワイ旅行に行った。何事も自分が納得するまで貫くような
子でした」 優里さんは、病が進行しても人工呼吸器を着けないと周囲に
語っていた。医師やケアマネジャーが患者の意思を定期的に確認する
「カンファレンス」では、呼吸器を装着する有無について繰り返し尋ねられた。
「生きるかどうか」の選択を何度も迫られるつらさ。優里さんはその思いを
泣きながら父親にぶつけていた。「親に向かって安楽死したいなんていう子は
いないでしょ」。ケアマネジャーから、優里さんが安楽死を認めるスイスへの
渡航を望んでいる、と間接的に知らされた。「内心ではそんなことを
考えていたんや、と正直ショックでした」
■父親が抱く容疑医師への思いとは
昨年11月30日。突然訪れた、娘の死。父親はヘルパーからの連絡を受けて
マンションに駆け付けた。娘からは何も聞かされていなかった。
「すでに優里は息も絶え絶えな状態だった。あまりに急なことで、
何の心の準備もない。気が動転してね」 優里さんを殺害した容疑で
逮捕された医師2人は、130万円を受け取ったとされる。容疑者の話題になると、
いつもは穏やかな父親の声が大きくなる。
「娘の生死をまるで商売みたいに扱って。犯人にくそったれ、と思う。
悔しい。許せない。なんでこんな卑劣なやり方するんや」
娘の声が聞こえるような気もする。「今ここに優里がいたら
『お父さん。私が決めたことだから、もういいやんか。そっとしておいて』と
いうかもしれない」。互いを思いやっていたが故に、娘も父親に打ち明けられない
ことがあったのだろう。「娘がつらいのをずっと見てきた。病気になった人にしか
分からない葛藤があったんやろう」。自らに言い聞かせるように言葉を絞った。
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筋萎縮性側索硬化症(ALS)と言う病気は大変な病気で優里さんも苦しさに
耐えられず「死にたい」と願う気持ちは和子にも痛いほど分かります。
和子は胆石を患い、胆石で何度も苦しんだ時は優しい夫も愛おしい2人の
息子の魅力も薄れて、とにかく死んで楽に成りたいと思った事を思い出します
優里さんも意識が無く植物人間だったら、この様な大惨事は無かったかと
思いますが、身体が動かなくても正常に意識が有り、将来を考えて自ら死を
選んだとは思いますが、お医者さんが手助けをするなんて飛んでも無い事
その上金品迄受け取るとは???
優里さんのお父様のどんな気持ちだったでしょうね?
世の中には介護疲れで親子・夫婦で共に命を絶つ方も大勢いらっしゃると
思うし、又難病の娘を抱え、近い将来、このお父様も命尽きで父子で天国に・・・
と言う結果に成るかも知れない。でも~世の命を助ける職業を持ちながら
殺害をお金で買う、この2人の医師を時が経てば許す事が出来るだろうか?
仮に死刑を受けて40数年の命を絶たれても、この優里さんのお父様は
生涯許す事は出来ないでしょうね?
優里さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。今度生まれ変われるなら
元気でご両親の元に帰って上げてね?