和子はず~と加害者の家族の心境を知りたかった-1

 

       f:id:akicyan6041:20201011201503j:plain

     《和子は又々こんな記事を見た~》

💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦

「父親は殺人犯」女子高生の娘が生きた壮絶人生、

              「君たちを守るためにやった」に号泣した理由

 

 親が犯罪者になった子どもの立場の人に話を聞きたい、と思ってきました。

被害者やその遺族の手前、表に出てきづらい存在ですが、被害者側の苦しみとは

また別のところで、加害者家族の苦しみも、確実に存在します。 47都道府県「幸福度」ランキング 取材申し込みフォームから連絡をくれたのは、20代の

田嶋架純さん(仮名)。架純さんの父親は、彼女が高校生のときに殺人と

覚せい剤使用により逮捕され、いまも刑務所で服役中です。メッセージからは

彼女の迷いや苦しさが、輪郭をもって伝わってきました。

 待ち合わせたのは、7月の休日、都内のデパートのカフェでした。新型コロナの

緊急事態宣言が出てからはオンラインの取材が続き、外出が久しぶりだったためか、

目に入るものがどこか生々しく感じられます。蒸し暑いテラス席でコーヒーを飲み、

ちょっと一息ついた頃、まっすぐな瞳をした架純さんが現れました。

 

■薬物中毒者の娘である自分も、人間ではないのか

 架純さんが5歳のとき、両親は離婚しました。父親は仕事柄、遠くへ行くことが

多く、また「遊び人だった」こともあり、もともと家にはあまりいませんでした。

 架純さんたちが住んでいたのは、父方の祖父母の持ち家の1つでした。会社を

起こして財を成した祖父と、名家の出身で手に職があった祖母。伯母やその夫も

社会的地位の高い人物でした。父親はそんな親きょうだいに囲まれ、

コンプレックスを感じて育ったのでしょうか。  祖母は「優しいおばあちゃん」

でしたが、後に聞いた話では、意外と豪胆な人物でもあったようです。父親が悪い

相手から金を借りた際は、身一つで事務所に乗り込み、金をたたき返してきたことも

あったとか。そんな祖母のすすめもあり、母親は離婚後も祖父の会社を手伝いつつ

子育てをし、そのまま祖父母の持ち家で暮らしていました。

 父親は覚せい剤を使用して刑務所にいる。それを知ったのは、小学5年生の

ときでした。祖父母が同じ敷地内に家を新築してくれ、引っ越し作業をしていた

ところ、引き出しの奥から父親が書いた手紙が出てきたのです。この頃、父親に

手紙を送っても宛先不明で戻ってきていたので、どうしているのかと気になり、

つい中身を読んでしまったそう。  それは架純さんにとって、「とんでもない」

手紙でした。父親が犯罪者になっていたことへのショックと、母親に宛てた手紙を

読んでしまったことへの罪悪感。誰にも話すことができず、むしろ「母親の前で

不用意に父親の話題を出すのはやめよう」と思ったといいます。

 普段は以前と変わらず、活発に過ごしていましたが、中学校の授業で

「薬物乱用防止」のビデオを見たときは泣いてしまいました。「薬物中毒者は

人間ではない、人間をやめたのだ」と言われ、「薬物中毒者の娘である私も、

人間ではないのか」と感じてしまったのです。  「人間やめますか?」という

薬物防止のキャッチフレーズは、依存症患者を追い詰め、回復をより困難に

するものであることが認識され、最近はあまり見かけなくなりましたが、実は

依存症患者本人だけではなく、その子どもたちのことも、ひどく苦しめていたのです。

 

     f:id:akicyan6041:20201011202609j:plain        f:id:akicyan6041:20201011202703j:plain


■娘には優しく、厳しかった父親への思い  

服役していた父親が「帰ってきた」のは、中2のときでした。この頃、祖父母は

架純さん一家のすぐ「裏の家」に住んでおり、父親もそこで暮らすように

なったのです。架純さんには、戸惑う気持ちと、うれしい気持ちが両方ありましたが、弟はただただうれしかったようで、毎日のように「裏の家」に行って父親と

過ごしていたそう。  母親は内心、複雑だったでしょう。以前、父親が

一時帰宅した際、母がインターホン越しに「帰ってよ!」と怒鳴っていたことを、

架純さんは覚えていました。一方的に離婚を告げた父親に対し、

怒りがなかったはずはありません。しかし母親は、子どもたちの前ではいっさい

父親の悪口を言わなかったといいます。

 「すごいな、と思います。私や弟が『お父さんに会いたいな』と言ったとき、

『あんな男、父親だと思うのはやめなさい』とか、そういうことは一度も

言われたことがないので。  大人になってから『なんでそういうことを

言わなかったの?』って聞いたら、『どんな人であっても、あなたたちにとって

父親であることに変わりはないから。自分の親を嫌いになるのは悲しいし、

つらいことかなと思ったから、ママはそういうことは言わなかった』って。

 そういうふうに育ててくれたことには、すごく感謝してます。自分の血縁って、

ある意味1つのアイデンティティーじゃないですか。それを悪く言われるのは、

少なからず自分の一部も否定されることになると思うから」  ただやはり、

架純さん自身も父親に対しては、複雑な気持ちがあるようです。話を聞いていると、

父親を好きだと言いたい気持ちと、それを口にしてはいけない、するべきではないと

いう気持ちが、彼女の中でせめぎ合っているのが感じられます。

 昔一緒に住んでいた頃、どんな父親だった?  そう尋ねると、「優しい、

怖かった」と口にし、いろんな思い出を話してくれました。  料理が上手で、

周りの子どもたちがうらやむようなかわいいキャラ弁を作ってくれたこと。

小さかった架純さんが食べ物を残したり、片付けができなかったりすると、

とても厳しくされこと。弟の出産のため母親が入院していたときは、架純さんの

髪を結ってくれていたこと。  「そういう日常的な、超どうでもいいことが、

自分の中では『めっちゃ大事だったな』と思えるんです。かわいがってもらったと

思うし、大好きだった」

💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦💦

 

今でも覚せい剤を服用される方々の心境は、和子にはどうしても

理解できませんし、有名人が「覚せい剤で捕まった」と言うニュースは何処の

局でも延々と報道されますが、どの様な事情が有って、覚せい剤に染まって

いくのか?正気の時は「やっちゃいけない・・・」と分かって居ながら深みに入る。

其れを又延々と各局で報道する事も???「自分で好きで覚せい剤に手を

染めたんじゃん」って思っちゃう・・・

この架純さんのお父様もその一人の様ですが、大切な家族が有りながら・・・

それでも架純さんのお母様は夫の悪口を子供の前で言わない立派なお母様に

感動しました。和子がこのお母様の立場だったら、此処まで冷静でいられるだろうか?素晴らしいお母様に逢った様な気がします。M(_ _)m

     【年賀状 出さずにいたら 死亡説(シルバー川柳)】