和子はず~と加害者の家族の心境を知りたかった-2

 

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       《和子は又々こんな記事を見た~》

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    「父親は殺人犯」女子高生の娘が生きた壮絶人生、

                        「君たちを守るためにやった」に号泣した理由

■事情を察して電話をくれた幼なじみのお母さん

 事件が起きたのは7月、夏休みに入ったばかりの時期でした。高校で部活の練習を

終えた架純さんは、先輩とおしゃべりをしており、「じゃあ帰ろうか」と

戸を開けると、土砂降りの雨が降っていました。そこで母親に電話をかけ、

車で迎えを頼んだのです。  家に着くと母親はすぐ、祖父母が住む裏の家へ。

よくあることで、ここまではいつもどおりでした。しかし、弟の様子がいつもと

違います。聞くと、この日は父親が祖母の看病をするはずだったのに

帰ってこなかったため、代わりに弟が裏の家にいたところ、警察から電話が

かかってきたそう。「お父さんに話を聞いている」と告げられたようです。

 お父さんが、また何かした――。架純さんはこのとき察しました。  「うち、

普段はテレビをつけないんですけれど、たまについていることがあって。

夕方6時過ぎ、キー局番組の合間の5分とかで、地方ニュースをやるんです。

そこで『〇〇市の民家から、女性の遺体が発見された。一緒にいた男性に事情を

聞いている』みたいなことが報道されて。なんか、2人で見入っちゃって。弟と

何か話をしたと思うんですけれど。全然覚えていないけど」

 殺されてしまったのは、父親が入れ込んでいた、近くの飲食店の女性でした。

 その後、電話がかかってきたのか、かけたのかわかりませんが、弟が泣きながら

父親に「いつ帰ってくるの?  今日約束してたじゃん、早く帰ってきてよ!」と

言っていたことを、架純さんは覚えています。夜になると、おそらく

新聞記者でしょうか、家のチャイムが鳴りましたが、「出てはいけない」と感じ、

弟と2人でやり過ごしたそう。  夜8時頃、架純さんの携帯に電話をくれたのは、

幼なじみのお母さんでした。家族ぐるみで仲良くしており、架純さんの家の事情も

よく知っている人です。 彼女もおそらくニュースを見て察したのでしょう。

しかし事件のことには何も触れず、「最近物騒だからさ、架純ちゃんたち

大丈夫かな? と思って電話しちゃった」と言います。「大丈夫、ありがとね」と

答えましたが、架純さんはほっとして泣きそうでした。本当は、どうしようもなく

不安だったのです。  この日は眠れませんでした。深夜、幼なじみに電話をかけて、

何を話したかは覚えていませんが、2人で大泣きしていたところに、母親が

帰宅します。このとき架純さんは、父親が覚せい剤で捕まった過去を知っている

ことを伝え、父親から来た手紙を読んだことを謝ったところ、母親は「架純が

知っててくれて、よかった」と言ったそう。すべてを自分の口から説明せずに

済んで、ほっとしたのでしょう。 その後、架純さんたちは、警察から事情聴取を

受けました。何を聞かれたかは覚えていませんが、ずっと「ドラマみたい」と

感じていたそう。あまりのショックの大きさに、現実を現実として受け止めることを、脳が拒否していたのかもしれません。

 

 ■「親父さん、刺しちゃったんでしょ」泣いて帰った弟  心配になるのは周囲の

人々の反応ですが、当時弟が通っていた中学校の対応は、ありがたいものでした。

以前、架純さんの担任をしていた先生がちょうど弟の学年におり、報道を見て

「架純の家では」と気づき、連絡をくれたのです。そこで3人で中学校へ行き、

母親は校長と弟の担任と話をし、その間、架純さんと弟は、連絡をくれた先生などと

話をしました。 「いま何がいちばん心配か、と聞かれたんですけれど。その

亡くなった方には、私たちと同じくらいの子どもたちがいたんです。そこも

シングルマザーだったから、それがすごく心配で申し訳なくて。その子たちは

どうなっちゃうんだろうって、本当に申し訳なくてしょうがなくて。

そのことばかり言っていました。  ママたちも話が終わって家に帰ろうとしたとき

私、本当にそれまでお母さんが泣いた姿を一度も見たことがなかったのに、

そのとき初めてお母さんが先生たちの前で、『本当にありがとうございます』って

言って涙を流したのが、すごい衝撃で、覚えています」

 世間では残念なことに、犯罪加害者の家族を犯罪者と同一視して、差別する人も

います。でも架純さんの通った中学校は、そのようなことがないよう、静かに、

かつ速やかに配慮をしてくれたことは、心底ありがたいことでした。  なお、

架純さんが当時通っていた高校には、近所の生徒があまりおらず、事件に気づく人は

ほとんどいませんでした。電話で一緒に泣いてくれた幼なじみがずっと同じ

クラスだったこともあり、周囲の差別でつらい思いをすることは、幸いなかったと

言います。「ただ、弟は本当にかわいそうでした。中学は近所の子が

たくさんいたので(みんな父親の犯行を知っており)、何か言い合いになったとき

『おまえの父ちゃん人殺しのくせに』と言われたり、部活の先輩に

『おまえの親父さん、刺しちゃったんでしょ』と言われて、なんかさめざめと

泣きながら帰ってきたりしこともあったらしくて。でも、ちゃんと学校に行き

続けたんですよ。本当にすごかった、えらかったと思う」  弟がそれでも

なんとか通い続けられたのは、おそらく、中学の先生たちのフォローのおかげも

あったのかもしれません。 その後、弟は大学生のときにアルコール依存症

なってしまい、一時は入院して治療を受けていたといいます。父親の事件との

関係はわかりません。「でももう立ち直って、いまでは私をたくましく支えて

くれる、立派な、優しい大人になりました」と架純さんは話します。

 

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■弟には見せられなかった、父親から来た手紙  架純さん自身は、父親の犯行で

周囲から責められたりはしなかったものの、それでも大きな苦しみを抱えて

生きてきました。それは、なぜだったのか?  理由の1つは、「私たち(

架純さんと弟)がそばにいるだけではダメだった(父の支えになれなかった)」という

思いだといいます。もう1つは、架純さんは亡くなった女性と面識があり、

「私のことも応援してくれる、優しい人だな」と好感を抱いていたことです。  

また親しく話したことはなかったものの、女性の子どもたちとも面識があったと

いいます。亡くなった女性や子どもたちのことを想像すると、とてもやりきれませ

が、そのやりきれなさと架純さんは向き合ってきたのです。  最も苦しんだのは、

父親から送られた1通の手紙です。大学生のときに初めて、弟とともに刑務所へ

父親の面会に行ったのですが、その後父親が送ってきた手紙に「お父さんは、

君たちを守るためにやった」と書かれていたのです。

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父親の覚せい剤から殺人まで起こし、又その被害者がお知り合いだったとか?

でも~此処まで読み綴って来ると、お父様は「君たちを守るためにやった」と?

でも~幾ら「君たちを守るため」とは言え、やっぱり遣って良い事と

悪い事が有る。この親子は周りの皆さんに見守られて、助かった事も

多々有りますが、何年経ってもこの大惨事はぬぐい取ることは難しいでしょうね?

やがて時間が解決して呉れるでしょうけど~心の傷までは???

亡くなった被害者の方のご冥福をお祈りします。 -合唱―

   【徘徊も タスキかければ パトロール(シルバー川柳)】