何事もやる気に成れば頑張れる-2・・・

 

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   《和子は又々こんな記事を見た~》

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  引きこもっていた30代男性を引きこもり

           支援事業開始に導いた恩人とは?

 長く親との関係に葛藤を抱えていた30代の男性が、父親の仲介によって

三者からNPO法人を譲渡され、山梨県の事務所を拠点に

現在ひきこもり支援事業を始めようとしている。自身が経験したひきこもり生活が

非常に辛く、ひきこもり生活の中で頑張りたい人に寄り添いたい思いからだ。

いまは衝突していた親子関係も修復し、以前やっていた物を投げたり

壊したりするなどの行為は一切しなくなったという。本人の中に、

一体どのような意識の変化があったのか。

 

 30代男性が親との関係に 葛藤を抱えるに至った経緯  男性は、山梨県に住む

藤原弘章さん(37歳)。両親に対しては、幼少の頃から反発していたという。

 弘章さんが高校を中退後、両親は、県外にある寮生活型のフリースクール

どこからか探してきた。  「寮に入るのなら、1人暮らしをさせてほしい。

出ていく費用は変わらないはず…」  弘章さんは、そう両親に訴えた。  

それでも親が進める流れにあらがいきれず、弘章さんは諦めてフリースクールの寮に

入ることになった。  しかし、寮生活を始めてみると、プライバシーが

まったくない。アパートの一室には、3人の生徒が押し込められていた。しかも、

みんな当たり前のように、そこで寝泊まりしている。弘章さんには不思議だった。

「自分がおかしいのかな」と思った。フリースクールに行かなくなればここを

出られると考え、そのままやめることになった。  その後は、就職したものの

長続きせず、辞めたり働いたり、という状態を繰り返した。  

「逆らったら、入院させるぞ」  親は親で必死だったと思うが、そんな父親の

言葉に、ずっと弘章さんは縛られてきたと話す。

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 「1人暮らしをしたい」  弘章さんがお願いすると、父親は口では「いいよ」と

言いながら、何か理由を付けて約束を反故にされることが多かった。  

「いいよと言われれば、期待する。期待た約束を破られたら、希望の大きさに

比例して絶望に変わります。反故にするのなら、最初から期待するようなことを

言ってほしくなかった」  弘章さんは、話し合いで解決できない中で、気持ちを

伝えたいがためにそうした怒りを抑えることができず、何度か家の物を壊した。

怒りすぎて、空のペットボトルや火の付いていないタバコを投げたりしたことも

あった。それらを投げたのは、親をケガさせないようにとの配慮だった。  ただ、

怒るとだんだん気力がなくなってくる。  「怒りすぎでアドレナリンが少なく

なったのか、立ち上がることができなくなったこともある」  家の中で親に

会わなければ衝突も起こらない。そうして、どんどん部屋にこもりがちになった。

 長いひきこもりがちな生活の中で2年くらい、誰にも会えなかった。

買い物にも行けないときもあった。  引きこもっている間は、

ずっと部屋の中にいた。両親に対しての怒りが恨みに変わり、許す気持ちになり、

また怒りに変わる。そのサイクルの中から抜け出したいのに、負のループが

繰り返されていくのかと思うと、死にたくなった。  「自分は、もしかしたら

社会で一番きつい思いをしているのではないか、本気でそう思ったときもある」

 弘章さんには、自分を取り巻く絶望が腹立たしく感じられた。  社会という

島があって、本当は上陸したいのに、イカダで漕げば漕ぐほど島が遠のいていく。

イカダを漕ぐための手段として父親とさまざまな約束をしたけれど、守られることも

少なく、早くたどり着こうと焦れば焦るほど、社会が離れていく感じがした。

 

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 今年1月のある日、父親から「明日、保健所の人が来るらしい」と言われた。

いきなりだった。「保健所の人が、いったい何ができるのか、

よく分からなかったんです」  自分に考えられるリスクは何なのか。弘章さんは、

インターネットで検索した。  「措置入院」というワードが出てきた。ただ、

時間がなかった。心の準備はできなかったが、「せっかく家に来てくれるのなら、

会ってみよう」と思った。  強制的に入院させられるのかなと思った。でも、

ビビってもしょうがない。弘章さんは、自分から玄関まで迎えに行った。

自宅に訪れたのは、県の保健福祉事務所で仕事する芦沢茂喜さんという人だった。

『ひきこもりでいいみたい』という著書も出しているソーシャルワーカーだ。

弘章さんは、元々親から依頼された支援者だから、親の味方で来たのだろうと

勘繰り、当初は信じていなかった。ところが、会ってみたら違った。 芦沢さんから

最初にかけられた2つの言葉を今でも覚えている。 「あなたの利益は守る」

「何かあったら言ってください。私から父親に伝えます」  何も強要されなかった。

それどころか、衝突していた親との間に入ってくれて、自分の利益を100%守り、

思いを代弁してくれた。「親との間に入ってくれたら、気持ちを切り替えられるし、

ずっと頭の中で怒りが増幅されることはない」 弘章さんは、怒りすぎて寝込むことも

あった。そんなとき、芦沢さんはその場で父親に電話をかけて思いを伝えてくれる。

親がどんな受け止めをしていたかの確認もできた。 芦沢さんに親との衝突の

緩衝材になってもらい、親子で話ができるようになったという。  そのうち、

芦沢さんが親子の間に入ってくれているのに、弘章さん自身は何もしていないことに

気づいた。 自分で事業を立ち上げたいという思いがずっとあった。父親の影響も

ある。  そんな父親からNPO法人を譲り受けた。でも、また口論になると約束が

破られるのではないか。だまされるのが怖い。手のひら返しをされたら、

また傷つく――。そう考えていると芦沢さんに言うと、父親は約束を破らなくなった。 父親は、芦沢さんが訪問するようになってから何も言わなくなった。  

「父からしたら、変なことを口にすると芦沢さんに言われるので、

何も言えなくなったのではないか」  弘章さんは、NPO活動のために動けた。

行動しやすくなったように思う。「NPOでは、家にこもりがちな人たちを

訪問したり、日中、皆で集まれるような場所をつくったりして、出入りが自由な

生活を送れる家と、仕事のできる場や店をつくる構想を考えています。

そこで出店している店の商品券を訪問先の人たちに渡せば、

外に出なければ使えません。接骨院やマッサージなどを保険適用でできれば、

働きたい人、頑張りたい人の背中を押せます。こうしたパーツを組み立てて

いきたい」  弘章さんは、いろいろと動いていく中で、昔の感覚を十数年ぶりに

思い出した。 「ずっと自分の中でモヤモヤしていたんです。そのモヤモヤが

なくなってから、やりたいことができるようになりました」  弘章さんは、

サンショウウオが庭の中で外敵がいないため、やがて外に出られなくなったと

いう昔聞いた話を思い出した。自分は、サンショウウオみたいに思えた。そこに

芦沢さんが来て庭の入り口を広げてくれ、自ら出られるようになった。  

「僕は何も情報を持っていないから、いろんな人の力を借りないと何も

できない状態なんです」  こうして2020年10月、NPO法人永弘会」は、

設立された。 弘章さんに今の親への気持ちを聞くと、「これまで面倒見てもらった。

感謝の気持ちしかない」という。 もちろん、芦沢さんのような第三者のサポートを

受けても、すべての人が弘章さんと同じような展開になるわけではない。

ただ、芦沢さんが見せてくれたものこそ、本来の引きこもり支援のあり方だ。

親の意向を受けて引きこもっている本人を引き出そうと迫るのではなく、

親子関係の仲介に入って、それぞれの気持ちに丁寧に寄り添いながら、

子ども側の味方に立つことなのだと思う。

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和子は5人兄姉の末娘で小学2年生の秋に長男が結婚する迄は甘えん坊で

自分の思う様に成らないと何時も泣いてばかりの日々でした。

所が、小学2年生の秋に長男が結婚して同居を始めてからは両親は

「老後は長男夫婦にお世話に成るから・・・」と未だ幼い和子の事は無にし

家庭の会計を長男の嫁(兄嫁)に譲って隠居生活を始めました。

昭和27年、当時は未だ学校の上履きは藁草履で学校の前のお店で10円で

朝学校に行く時に兄嫁に「上履きの草履を買うから10円頂戴・・・」と

言っても兄嫁は聞いても聞かぬ振りをして知らん顔・大きな声で

「上履きの草履を買うから10円頂戴・・・」と何度言っても呉れない

母が「かーこに10円遣ってくだい」と言って呉れても知らん顔

長男が「和子が『10円呉れ~』って言うとるでや~早くやれ・・・」って

言う迄呉れない?、「学用品を買うから10円頂戴」と言っても何時も

この通り・・・此れを中学3年卒業する迄・・・長男にこの苦痛から

逃れたくて「月に300円で良いからお金を頂戴」と頼んでも長男は

「ダメだ~みんなお前は食べて仕舞うから・・・」と言って聞き耳を

持って呉れません。母に零せば「かーこが泣いて帰って来るのはこの家しか

無いから姉さん(兄嫁)の悪口は言うな・・・」と

有る日子供会で彦根松原水泳場に泳ぎに行くのに兄嫁に「お小遣い頂戴」と

言うと「次男のお兄さんに貰ったお金が有るでしょう?」と・・・

兄ちゃんは一緒に同居し、お金に苦しんで居る和子を見てバイトに炭俵を

編むのを教えて呉れて貯めたお金迄兄嫁は当てにする

 

立派に両親が居ながらこの様な継母同然に苦しんで居る和子を知って居るのは

兄ちゃんだけでした。和子は学問より早く社会に出てお金を稼ぎたい一心でした。

今思えばそのお陰で人並みの大人に成れたと・・・

【いつもビリ 天国行きも ビリで良し(シルバー川柳)】