和子の生い立ち-96〜新潟旅行〜

隆義さんが、生前居た頃から「一緒に一度新潟に行こう?」って約束は
して居ましたが、中々機会が無く隆義さん家族とは新潟には
行けませんでしたが、「夏休みに家族で新潟に行こう〜」って決まり
家族4人で上野から信越線の夜行に乗って新潟へ・・・
寝台車では無く普通の座席で長時間かけて着いた新井の駅は川瀬駅の様?
新井の駅からバスで1時間数分、オジサンのお宅に着いた時はかなり疲れ
オバサンに朝食をご馳走に成り、一休み!初めて伺った家なのに・・・
遠慮も無くぐっすりと・・・
此処は関田と言う部落で夫の両親のお宅が歩いて5分程の距離に・・・
和子達が今回お世話に成ったお宅は夫の、亡き実母の実家で通称「西の家」と
5分程離れた所に、通称「大門の家」此処は夫のお父さんの実家で
子供の頃に実母に先立たれ、長男と夫は「西の家」に次男と4男は
「大門の家」に預けられて育ったとか?
当時は亡き実母の弟(3男の好朗)さんが後を継ぎオジサン夫婦と息子さん
2人の4人暮らし、一方「大門の家」は当時は従姉妹夫婦が・・・
従姉妹の子供さんも結婚し、賑やかな家族で皆さんに祝福されて
楽しかったです。又夫も幼い頃に育った家だから・・・取っても喜んで
アチコチに連れて行って呉れて・・・「此処には東京の実家のお姉さんの
お姉さんが嫁いで居る家で裏峰の家だ」とか
「此処は西のオバサンの実家だ」とか親戚が多く、皆さんに暖かく
歓迎して貰って楽しい新潟旅行でした。その後3〜4年経って再度新潟の
西の家へお邪魔し、オジサン、オバサンとも親しく成って
盆暮れに付け届けをしてお礼の電話をしても多少の雑談や
世間ばなしが出来る様に成った。


新潟から帰って来た次の日に夫の妹から電話が有って
「世田谷の北川さんって和子さんの従兄弟じゃ無かったけ?」って?
「そうだけど〜勇ちゃんがどうしたの?」と聞くと・・・
「火事で家が全焼したって東京新聞に載ってたよ〜?」と教えて呉れました。
早速、勇ちゃんの家に電話をしたが当然通じず、三軒茶屋の昭ちゃん
(勇ちゃんの兄)に電話をすると、としゑさんが出て「和ちゃんそうなのよ?」
って?びっくり・・・