和子の生い立ち-74〜腹痛騒動〜

結婚式以来、横浜に来るのは初めてでしたが、散々父に反対されながらも
(末っ子のかーこのお産のお世話がして遣りたい)と言う一心で遠い横浜へ
狭い6畳一間に布団を一杯敷き詰めて雑魚寝でしたが、最高の喜びでした。
和子が誠と共に退院した日に来て呉れて一週間ほど経ったある日、持病の
腹痛を起こされて・・・狭いアパートの中で「痛い・痛い・・・」と喚かれ
東京の実家からお姑さんに来て貰って内科のお医者さんに連れて行って貰い
お姑さんにもご迷惑を掛けましたが、母は薬は一杯持って来たけど〜
保険証を持って来て無く、仕方なく樋田の実家に電話を掛けて保険証を
送って貰い横浜での腹痛も無事に治まり20日程して帰って貰おうと思うと
母は「誠に天井に吊るすおもちゃを買って遣りたいからデパートへ
連れて行って欲しい」と・・・「病み上がりで無理をしなくても良いよ〜」って
言っても母は聞かず・・・一日夫に渋谷の東急デパートに連れて行って貰い
誠におもちゃも買って呉れて母は満足して田舎に帰りました。


父は母が和子の所に行って腹痛を起こした事を聞き、取っても心配して呉れて
明治生まれの父は漢字とカタカナとひらがなの混じった候文の手紙を・・・
「心配せなと言うたって心配せずに居られるか?勇次と良く相談して
良い方法を立てて貰えたし候・・・」と言った文面でした。
和子は今もこの手紙は宝物として大事に保管して有ります。


母は末っ子のお産のお世話もし、誠におもちゃも買って満足をして
実家に帰りましたが、後で聞く所に依ると・・・
母が帰った日は一ノ瀬の姉ちゃんの家で、おとしこし(お坊さんが自宅に来て
仏様に読経を上げる)で父は姉ちゃんの家に行って留守だったとか?
(父が心配して居るだろう?)と思い姉ちゃんの家に「今帰って来ました」と
父を訪ねた所、父は激怒をしてかなりの剣幕で母を怒ったそうです。
姉ちゃんの家も飛んだ災難に成ったとか?
其れだけ父は母の身体を按じて居たのでしょうね?