和子の生い立ち-7 〜カリエス②〜

カリエスの手術を受けてすっかり元気に成った和子は仲間と楽しく
遊んだり・・・遅刻する事も無く学校に通学し相変わらず
男の子から苛めを受けながら頑張りました。両親は勿論和子も
医師から「カリエス」と聞いても骨の腐る難病とはその時は知らず
手術をして病んだ個所を切除し、もう大丈夫、直った〜と安堵して
ホッとして居ましたが、其れから3年今度は中学1年の秋頃から又
膝下の痛みを覚え発病・・・又豊郷病院へ行き診察を・・・
度々豊郷病院へ通院するのも大変で、近所の開業医に紹介状を書いて貰い
行く事に・・・もうその頃は姉ちゃんも一ノ瀬にお嫁に行き
お兄さん(姉ちゃんのご主人)の従兄弟が一ノ瀬で開業医を開いて居て
田舎だけに義理が有るからと・・・今度は大杉先生を辞めて其方の
開業医へ〜此処の医師は女医さんでお兄さんとは従兄弟で姉ちゃんを
妹の様に可愛がって呉れて、和子も診察に行くと患者と医師だけど〜
「かず〜・かず〜」と呼んで可愛がって下さいました。和子も姉ちゃんと
同じく「おたかさん」と呼ぶ様に成った

豊郷病院からの指示でおたかさんに薬を頂いたり新薬の高いペニシリン
打っても回復せず、又2度目の入院をして手術をしました。
此れは年明けて2月の寒い時でした。2度目の手術だけに余り恐怖は
無かったですが、両親は「又〜〜〜?」って感じで心配は募るばかり
だったでしょうね?
2度目の時は2人部屋で秦荘の奥さまで子宮筋腫だと言ったかな?
有る日姉ちゃんが娘を連れてお見舞いに来て呉れました。和子の
姪でみ〜こ(美津子)は未だ4歳位だったかな?

幼いみ〜こは病院でもお構いなく散々暴れて帰って行きました。
夜に成ってお隣のベットのオバさんがカーテンの中で、すすり泣き
ご主人が「明日連れて来て遣るから〜」って散々慰めて居ました。
良く聞くとこのオバサンは「ご近所の方がお見舞いに来て呉れると
お返しが大変だから・・・幼い我が子を実家に預け夜中に
入院して来たとか?姉ちゃんがお見舞いに来て呉れて
み〜こを見て、我が子が恋しく成って泣いて居るとか?・・・
未だ中学1年の幼い和子でも、そのご夫婦の会話を聞いて
哀れに思いました。