和子の生い立ち-8 〜カリエス③〜

2度目の入院の時は2週間程の入院で、その間に母の兄(長男・作太郎)が
他界し母は付き添えに来て呉れませんでした。母の代わりに君子が
お世話をして呉れて、病院の裏に霊柩車が停まって居るからかーこに
見せてやると言って和子をおんぶして呉れて霊柩車を見に連れて行って
呉れて生まれて初めて霊柩車を見ました。

2週間の入院生活を終えて、又元気に成って学校へ・・・
中学2年生は無事に1年間、休む事も無く修了式を迎えましたが
3年生の夏に又々・・・入院、手術と・・・
この頃には「カリエス」とは骨の腐る病気で和子は小骨を
切除して居るので未だ々発育盛りだから大丈夫との事でしたが
2度・3度と入院、手術の繰り返しでは困るし・・・
一度大津の赤十字病院へ連れて行って見て貰おうと・・・
兄ちゃんに連れられて大津の赤十字病院へ〜やっぱり此処でも
診立ては同じで3年生の夏に3度目の手術を豊郷病院で・・・
今まで2回は局部麻酔でしたが、3回目は下半身麻酔で20日間の
入院。20日間の入院を終えて退院し未だ傷も直らない頃
大事を取って未だ、学校を休んで居る間に又々再発・・・

3度の手術を終えて和子の左足の膝下には大きな傷跡が・・・
右の膝下と比べると何と無く変形して居る様な・・・
当時、田舎では奇形児で、ビッコを引く人や不注意で片端に
成った人などは婚期が遅れ、行かず後家さんに成ると良く言われました。
小学3〜4年の頃から病院通いの絶えない和子は又々おたかさんへ・・・