思い出ばなし・和子の幼い頃の闘病生活-3

 

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      《愈々手術》

両親に連れられて豊郷病院に入院した時は確か2人部屋でした。

未だ々幼い子供だったし・・・今パソコンで「カリエス」と検索すると

結核性や梅毒性のカリエスが多かった様ですし、当時は中庭を挟んだ

向こう側の病棟には結核患者さんが大勢入院されていて、中庭を挟んた

向こう側の隔離室に成ってて・・・結核患者さんが亡くなると、身内の方の

すすり泣く声が聞こえて居ました。


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当時、先生は「和子の病状は足の小骨の先に小豆粒位壊死して居るから・・・

手術して壊死した個所を取り除けば未だ々発育盛りだから元気に成れるよ~」

と言って下さった事を覚えて居ます。

今思えば大きなライトの点いたベットの上で・・・と言う光景は記憶に

有りませんが、両親の見守る手術室で局部麻酔だけで痛かった事・・・

和子はず~~~と「痛い・痛い・・・」と泣き叫び手術室から病室まで

父におんぶして貰って帰った事を覚えて居ます。

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病室に戻ったら「入院患者さんが増えて後一台ベットが設置されて3人部屋に成り、

狭くなった部屋で、和子はず~~~と「痛い・痛い・・・」と

泣き喚き・・・同病室の患者さんに「煩い・・・」と怒鳴られて、母は

「すみません」と頭を下げて呉れて居たそうですが・・・患者さんから

「煩いから猿轡を噛ませて置け」と言われて・・・母にタオルで口を塞がれて

 泣き喚かない様に・・・と傍で母が「かーこが泣くと『煩い』と怒られるから

我慢してね?」って必死に慰めて呉れた思い出・・・

 今じゃ考えられませんよね?(涙・・・)

【飲み代が 酒から薬に かわる年(シルバー川柳)】