思い出ばなし・和子の幼い頃の闘病生活-7

 

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    《和子も兄貴に連れられて大阪へ・・・》

女医さんの患者さんで、偶々大阪の娘さんの所に行って、娘さんに市大病院へ

当時は、未だ和子は中学生で「手術をした足で帰って来る」と言う事を

疑う事も無くタダ(凄いな~私もそんな感じでカリエスから縁が切れるなら

良いな?)って思ったけど~今なら(60年昔にそんな事が出来たの?

嘘でしょう?)って思いますよね?((^▽^笑) )

 

それでも3年置きに発病して女医さんの言われる様に手術の後の傷だらけ

よりも、早く元気に成って仲間と一緒に学校に行きたい・遊びたい、

夏には琵琶湖に行って泳ぎたいと何時も思って居ました。

早速兄貴(長男)連れられて大阪の市立大学病院の門をくぐり、問診を・・・

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当時は未だ、結核とか梅毒と言う伝染病が下火ながら燻って居る頃でした。

此処の先生のお話しに依ると・・・

「カリエスと言う病気は結核性や梅毒性から来る病気であなたも結核性からの

カリエスだと一生ついて回ります。でも~検査の結果あなたは単なる

カリエスだから直ります。タダ今は手術して間が無いから・・・

今回は止めますが、必ず3年したら又発病します。その時には是非

いらっしゃい。その時ベットが空いて無ければ、お隣りの病院のベットを

借りてでも直して上げます。」と・・・心強い先生のお言葉を聞いて

兄貴と帰りに天王寺動物園に寄ってルンルン気分で・・・

 

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豊郷病院で3度も手術を受けましたが、大阪の市大病院の先生は

「壊死して居る場所だけを摘出するのではなく、その周りの骨も

 例えば10本の所を15本と言った様に幅広く切除すれば良いと思う」と

言われましたが、豊郷病院の

先生も名医さんで有名な方だったから最後の時には大々的に切除して

下さったのか、その後、カリエスも再発する事なく60年、無事に縁が切れて

その後は大阪の市立大学病院にも行かなかったです。

【聴力の 検査で測れぬ 地獄耳(シルバー川柳)】