5人兄姉の末娘に生まれた和子は、父が49歳・母が42歳での子供で
当時は未だ戦争の真っ只中で食べる物も満足に無く、ご飯と言えば麦
混じった真っ黒いご飯だったとか?和子が物心付いた頃は戦後で此れから
平和に成ろうかと言う頃だった様ですが、和子が母のお腹に居た頃は満足に
食事も食べられず、身重と言えども傍で無く、兄貴や姉の口に入っても母は
我が子可愛さに、子供を優先に・・・「かあちゃんのお腹には赤ちゃんが居るんだよ~」と分かって居ても、現実は・・・
聞く所に依ると和子の年代には骨や歯の弱い方が多かった様に・・・
横浜に来て、団地のお向かいの棟に和子と同じ年代の男性が居て、
聞く所に依ると、彼は母一人子一人で、やっぱり幼い頃にカリエスを患い、
片足切断して義足を・・・そんな彼と出会った時、和子は(五体満足で良かった~)
夫と結婚して家庭を持って、子供を授かり・・・良く・・・
「子を持って親の恩を知る」と言いますが、
何度も何度も「足が痛い・足が痛い」と言って苦しみましたが、
両親や兄姉のお陰で障害者にも成らず、貧乏ながらにも、
両親の援助も受けず、人並みの生活の出来る事に感謝の一念です。