「16歳JKと半同棲」「浮気に悩んだ少女が自殺未遂」

  

《和子は又々こんな記事を見た~》

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       慶応SFCのタレント学者

  若新雄純氏の知られざる過去【全文公開】

 テレビ業界の寵愛を受けるタレント学者には知られざる過去があった。

彼が慶應義塾の大学院生だった時、16歳の女子高生と過ごした半同棲生活に

まつわるあまたの出来事。2時間の直撃取材に彼が50回も繰り返した

「真剣」交際とは一体、何だったのか――。

週刊新潮2月1日号「テレビ界の寵児『若新雄純』慶應大学特任准教授が

『16歳女子高生』を弄んだ履歴書」を全文公開。 

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どんな人物にも裏の顔はあるのかもしれない。世上を騒がせる

芸人・松本人志のニュースはそのことを思わせる好例だが、ここで

取り上げるのもテレビに愛される著名人の一件だ。  

若新雄純(わかしんゆうじゅん)氏(通称「わかしん。」、年齢非公表)。

名前に覚えがなくとも、茶髪で色付きメガネの風貌と、慶應の先生という

肩書はご存じのはずである。  正式には慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス

大学院の政策・メディア研究科特任准教授。だが、研究室よりテレビの

スタジオこそが職場ではないかとさえ映る。  目下、夕方の情報番組

「Nスタ」(TBS)で毎週、ニュース解説を担当。昨年3月まで4年半の

長きにわたって「大下容子ワイド! スクランブル」(テレ朝)の

レギュラーコメンテーターを務めた。その他「サンデー・ジャポン」(TBS)、

「DayDay.」(日テレ)、「ビートたけしのTVタックル」(テレ朝)などにも

よく登場する。  彼は出演スケジュールを月の初めにSNSに掲出する。

1月も予定が詰まったことへの高揚感からか、 〈若新バブル新年も継続か?

岸田政権より長命目指します〉 と投稿した。しかし、自身で「バブル」と

表現するほどの人気ぶりも、いつまで続くのか怪しい。

「若新と出会ったばかりにボロボロに…」

 とある慶應OBが、若新氏について本誌にこんな情報を寄せた。

「彼はSFC修士課程2年生だった25歳くらいの頃、16歳の女子高生と

半同棲生活を送っていました。彼女は若新と出会ったばかりにボロボロに

傷つき、最後は忽然と私たちの前から姿を消した。当時、彼が所属していた

コミュニティーにいた人はみんな知っていることですよ」  

25歳と16歳の男女の交際。この関係に「淫行」の二文字を

思い浮かべる人もいるかもしれない。だが、成人が未成年と関係したとして

即、法的にアウトとなるわけではない。元テレビ朝日法務部長の

西脇亨輔弁護士によれば、 「18歳未満との行為は『淫行』として

青少年保護育成条例に違反する場合がありますが、結婚を前提とした

『真剣交際』等は除外されます。『単に性的欲望を満足させるため』ならば

条例違反というのが最高裁判例の基準です」

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大学院生とは思えない優雅な暮らし

 この話の当時、つまり今から15年前、若新氏は新宿のタワーマンション

住み、大学院生とは思えぬ優雅な暮らしを送っていたという。

「彼はSFCに入る前は宮城県の公立宮城大学に通っていました。そこで

仲間らとの起業に成功し、創業者利益を得ていたのです。創業メンバーの

端っこに加わっていただけなんですが」(事情通X氏)  若新氏は自分の

ウェブサイトで、神奈川県藤沢市にあるSFCでの大学院生活が始まった

経緯を、次のように記していた。 〈組織での苦悩や葛藤から逃れた後、

俗にいう学歴ロンダリングな大学院やその付属研究所をモラトリムの

隠れ蓑に研究活動に没入〉 現在、このサイトは閉鎖されているが、

地方大卒の学歴を慶應の大学院在学というきらびやかなプロフィールで

ロンダリング」したと自ら位置付けるような表現は、実に興味深い。

マンションに連れ込まれ…

 複数の慶應キャンパスの中でも先進的で尖っているとされるSFC

そこで彼は“成功者”として君臨していたそうである。

 「いわゆる『意識高い系』の学生グループ内で、彼は知られた存在でした。

起業に憧れる学生が多く、勉強会、講演会などと称し、みんなおしゃれ感覚で

よく群れていて、彼は酒が飲めないのですけれど、いつもそこにいた印象です」

(前出・慶應OB)  そこに迷い込んでしまったのが16歳のA子さんだ。

「複雑な家庭環境で育った女の子だった。母親とは折り合いが悪く、

家に居場所がない。けれど逆境に負けまいと、SFCに合格することを

夢見て勉学に励んでいました」(知人女性)  彼女が若新氏と出会うのは

2008年秋ごろ。場所は東京・渋谷で催された、政界進出を志す

国会議員秘書の誕生日パーティーだった。  着飾った男女が優雅にグラスを

傾けながら談笑している。初めて足を踏み入れる大人の世界にA子さんは

魅せられた。 「起業にも興味を持っていた彼女は夢中で会場をあいさつして

回った。その中にいたのが若新氏でした」 パーティーから帰った

A子さんは、名刺をもらった一人ひとりに御礼のメールを送った。すると

若新氏から「今度パフェ食べにいかない?」と、誘いのメールが届いた。

その日は新宿で会ってレストランで食事し、パフェを食べて別れた。が、

若新氏が間もなく誘ってきた2度目のデート、東京ディズニーシーに行った後、

事態は急展開する。 「その帰り、A子さんは、若新氏がタワマンに転居する

前に住んでいた新宿2丁目のマンションに連れ込まれ、男女の仲に」

浮気のたびに修羅場に

 以後、A子さんは彼の部屋で寝泊まりするようになり、半同棲生活が

始まった。「母親はA子さんの外泊を認めてはいましたが、放置していた形。

家出少女を自宅に泊めていた若新氏は一時、A子さんに合鍵まで預けていた」

新たな居場所を見つけたA子さんは、交際当初は浮かれていた。だが、

次第に様相が変化する。原因は、若新氏の浮気である。

「彼と部屋にいる間、突然入ってきた女性と鉢合わせになったこともあった

そうです。知らない女の衣服や化粧品が見つかったりして、その度、

修羅場になった」若新氏はしばしば、こんなことを言い放ったという。

「『僕と一緒に死んでくれる?』。彼は宮城大学時代に長く付き合っていた

女の子にフラれたとかで、よくA子の前でそうわめいていたのです」

30分以上、救急車を呼ばず

 交際が始まってから4カ月ほど経過した頃、事件は起きた。09年2月、

浮気癖に苦悩したA子さんは若新氏の自宅に一人でいる時、精神科で

処方された薬を過剰服用、昨今言うところのオーバードーズし、

自殺を図ったのだ。  第一発見者は深夜帰宅した若新氏だった。  

若新氏と交流があったY氏は、その際に若新氏が取った対応にあきれたと語る。

「普通ならば、すぐに救急車を呼ぶでしょう。けれど、彼はまず友達2人を

呼び寄せたのです。女子高生との半同棲生活をカモフラージュするために」

どうやら警察にバレることを懸念したらしい。「しかも、何が起きているか

聞かされていなかった友人らが若新の部屋に着くまでには30分以上かかった。

そこで彼らは倒れているA子さんを見て仰天したのです。慌てて

119番通報し、A子さんは慶應病院に運ばれました」 病院で胃洗浄を

するなど一時は容体が心配されたA子さん。幸い、命に別状はなく、

駆け付けた母親に引き取られて実家に戻った。だが、彼女はすぐに

若新氏のところに舞い戻った。

ケチな男なんだって

「若新氏のことが好きで離れたくなかったのです。お母さんはこの時、

初めて二人の関係を把握。娘がそこまで好きな相手ならばと、若新氏に

御礼の電話をしました。もちろん彼がすぐに救急車を呼ばず、A子さんを

放置したことなど知らなかったはずです」 A子さんの母親に、この時の

騒動について聞いた。 「わかしん? それ、ワカのこと?」 母親は

若新氏がすっかり名の通る存在となっていることを知らなかった。

「私もあの時は大変であんまり覚えてなくて……。

娘はワカにゾッコンでしたね。たまに帰ってくればワカの話ばかり」  

ただ、と言って、 「ケチな男なんだってよく聞かされました。スーパーに

買い物に行く時も、見切り品が売っていそうな時間帯を狙って、まずい

おにぎりやお惣菜を買ってくるんだって。彼と電話は1回くらいしたかなぁ。

娘の人生だと思って好きにさせていましたが、話の様子から

もてあそばれていることは分かっていましたよ。会いに行ったことは

1度だけありますが、娘がもう捨てられかけていた頃だったと思う。

彼が経営していたという歌舞伎町のバーに行って。何を話したかは覚えていない」

倹約家なのは悪いことではない。しかし、未成年相手に次のような

話はどうか。「A子ちゃんは若新にたかられていました。

“お金ちょうだい”ってうるさいって、よく言っていました。面倒臭いから

何かを買ってあげたことがあるとも話していた。そんな男やめなさいって

言っても、彼女は全く話を聞かなくて」 自殺未遂後も若新氏の浮気は

収まらず、A子さんが高校3年生の夏ごろに関係は破綻した。だが、

A子さんは若新氏のことを諦めきれず、ずるずると関係は続いた。

「都合のいい時だけ呼びだされる便利な女として、です。なにしろ齢は

10歳差。彼女は言われるがままに籠絡されていた。そんな関係は大学を

卒業するまで継続しました」 憧れの慶應SFCは不合格だったため、

失意のうちにコミュニティーにも顔を出さなくなり、やがてA子さんは

姿を消した。 A子さん本人にも話を聞いた。彼女は「今は幸せに

暮らしており、彼のことを何とも思っていない」と、当初は話すことを

拒んだ。 しかし、やがて事実確認に協力してくれるようになった。

公表しないことを条件に、当時二人が交わしていたメールも彼女は示したが、

そこには浮気をわびる若新氏の言葉や性的な関係を裏付ける文言などが

いくつも残っていた。 彼女が取材に応じたのは、自分が薬の過剰摂取で

意識を失った際の、若新氏の行動を初めて知ってショックを

受けたことなどが理由だ。 しかしもうひとつ、取材を受け始めた彼女の中で、

若新氏のある活動への疑問が浮かんだことが大きい。 それは、若新氏が

A子さんと別れた後の14年、福井県鯖江市で手がけた

「JK課」のプロデュースである。  JKとは若者用語でいう女子高生。

そのネーミングと、地方創生にあたって女子高生がまちづくりに参加する

という斬新なアイデアで、彼は一躍メディアの脚光を浴びた。事業や、

若新氏と女子高生たちとの交流は10年たった今も続く。

「親の同意があったので」

 若新氏のSNSには、女子高生と「お泊まり会」やカラオケの会を催し、

親しく触れ合う写真が数多くアップされている。 「今振り返れば、

彼が私にしてきたことは愛ではなかったと思います」  最初は硬い表情を

崩さなかったA子さん。最後は目に涙をためてこう呟いた。 若新氏に取材を

申し込むと、電話取材に応じた。 若新氏は「懐かしいですね」

「めちゃくちゃ前の話なんでハッキリ覚えていないんですけど……」と、

時に笑いを交えながら、問いかけに堂々と答えた。  自分から誘い、

2~3回目のデートで関係を結んだこと、オーバードーズ騒動があったこと。

別れた後も男女関係が継続したことについてあっさり認めた。 一方、

いくつかのことは強く否定した。 A子さんは交際当時、部屋に

見知らぬ女性の服を見つけ、ハサミで切ったことがあった。服の持ち主は

B子さん。若新氏は言う。 「B子ちゃんはアレですよ、彼女(A子さん)と

交際が終わった後、次にお付き合いをした人ですよ」  自殺騒動後に

行ったという“偽装工作”についても、「事実に反します。

『一緒に死んでくれ』なんて言ったことなどありません。友人が悪意を持って

証言しているとしか思えない」  お金を無心したことは? 

「お金を僕がですか? それは交際のなかで、例えば夕食をごちそうして、

今日僕、いっぱいごちそうしたんだから、デザートくらいおごって

よみたいなやり取りはあったとは思いますよ」  

16歳のJK、女子高生と交際していたことの認識を質すと、

 「お母さんは僕らの交際を知っていて、会ったこともある。まぁ、

親の同意があったので、一応は16歳以上で、いわゆる援助交際とか

じゃなく、親の元に帰さなかったわけでもない。問題ないと考えていました」  

今になってどう考える? 「正確に法律がどうなっているかは

分かりませんが、これは自分の過去の一つの人間関係、恋愛、出来事ですよね?

胸を張って言えることではないですが」 そして若新氏は「真剣交際でした」

と連呼し続けた。2時間にわたる直撃取材で彼が口にした「真剣」の語は

実に50回を数えた。 鯖江市には「説明すれば納得してくれると

思います」と言った。「真剣交際とは?」と問うと、こう答えた。

 「お互い抱えている悩みを共有し合う関係じゃないですか。

真剣だからこそ、オーバードーズしたときに救急車を呼んだし、

彼女の家庭環境を知っても別れたりしなかったんです。当時は僕なりに

真剣に交際していました」 「その真剣交際している期間に、別に僕が

仕掛けたことじゃないですけど、いろんなことがありましたけど、

それに関しては、僕が意図して原因となって引き起こしたわけじゃなかった

としても、交際期間中だったわけですから、ちゃんと向き合って対応しました」

 単に性的欲望を充足させるためではなかったという主張。若新氏と交流する

女子高生たち、テレビで彼の口説に触れる視聴者に、その言葉はどう響くだろう。  

17年、あるバラエティー番組で大人と高校生の交際がテーマになった際、

弁護士が「真剣な交際での行為は法的に介入されない」という認識を示した。

その回の出演者こそ若新氏だった。身に付けた知見が今回、取材への弁明で

生かされたか ちなみに慶應大学は、 「調査中のため、コメントできません」  

という回答だった。

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