🧿 廃住と成った実家
有る読者の方から昔、和子の書いたブログを見て・・・
「やがて来る和子の50数回目の結婚式(笑)・・・」を見てコメントを頂き
亡き父を思い出し一寸懐かしく身近で、逢ったような錯覚を思い出しました。
父は明治生まれで、堅物でガンコ爺さんでした。
拉致被害者の一部の方が今から20数年前に帰って来られた曽我ひとみさんの
ご主人が父に良く似て居てびっくり・・・(笑う)
和子は5人兄妹の末っ子で父が49歳・母が42歳の恥かきっ子だったとか?
学校のお友達はみな「お父ちゃん・お父ちゃん」と言いお父さんが大好き
でも~和子のお父ちゃんは頑固おやじで小さい時は大嫌いでした。
5歳離れた姉と食事の時に口喧嘩をしたり、騒いだりするとそろばんが
飛んで来たり、鉄の火箸の長いので頭を叩かれたり・・・
それは、それは怖い父で大嫌いでした。
数十年昔、和子が中学生だった頃、伊勢湾台風が本土に上陸し、
和子の実家は犬上川の上流で「ダムが決壊する恐れが有るから避難する様に・・・」と言う連絡が有って家族のみんなが避難の準備をするのに、父は隠居で
高鼾を掻いて寝て動こうとしませんでした。
お陰様でダムの決壊も無く、でも~川の水は直ぐ近くまで増水し
川沿いに植えて有る大きな木が半分ほど水に浸かり恐ろしいのを思い出します
台風も去って無事に通常の生活が出来る様に成ったある日、
「ダムが決壊して愈々駄目だと成った時は和子だけを抱いて逃げる積りだった」
と聞いて初めて(父は怒るばかりで怖い父だ)とばかり思って居たけど・・・
和子の事を愛おしく思って呉れて居たんだ?と初めて知りました。
又和子が生まれる数年前に姉(次女)と和子との間に「多喜子」と言う
姉が居て5月百姓で田んぼの田植えの日に兄ちゃん(次男)と姉(次女)と
父が苗を背負って母は赤ん坊に「多喜子」をおんぶして田んぼへ・・・
田んぼに行くには犬上川を丸木橋を渡って行くのですが、その日は
雨上がりで川には泥水が深く流れて居たとか?その丸木橋を兄ちゃん(次男)は
走って渡ったら姉(次女)も兄ちゃんの後を渡る時に足を踏み外して泥水の
川に落ち恨めしそうに流されて行ったとか?
その時、父は道端を走って先回りして川に飛び込み姉を助けたとか?
田んぼの小屋に赤ん坊に「多喜子」を寝かせて姉(次女)にお守を頼んで
両親は田植えを・・・姉は一日おびえて一言もお話をしなかったとか?
夜に成って一言「怖かった・・・」と
その後「多喜子」は幼くして亡くなり和子は生まれる前のお話しで知りませんが
毎年の様に大雨や台風で水害の映像をテレビで見ると子を持つ親となり
泥水の中を無我夢中で助けに行った父の姿を想像し「父は子供想いの
素晴らしい父だった」と頭の下がる思いがします。
又和子が東京に嫁ぐ時は「一握りの土も無い東京へ和子を嫁がせたくない」と
必死で兄や姉に頼みに行ったり・・・和子は相当の親不孝だったけど・・・
父亡き後に2人の息子も立派に成長させて庭付のマンションを買って今では
一握り以上の土も有るし・・・お父ちゃん認めて呉れるよね?(笑う)
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