《和子は又々こんな記事を見た~》
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小2で認知症の70代祖父を介護…
風間トオル(61)が振り返る“ヤングケアラー時代”
川崎市出身の俳優・風間トオルさん(61)は、子ども時代、祖父母と
3人で貧困生活を送っていた。小学2年生頃になると、認知症が始まった
祖父の介護もするようになったという。風間さんは、近年社会的関心が
高まっている「ヤングケアラー」(本来大人が担うと想定されている家事や
家族の世話、介護などを日常的に行っている子どものこと)の当事者だったのだ。
小学生時代の風間さんは、いったいどのように祖父を介護していたのだろうか?
また、ヤングケアラー問題に対して、当事者としてどのような思いを
抱いているのか。本人に話を聞いた。
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おじいちゃんが70代の頃、認知症が始まる
👱 風間さんは子ども時代に認知症のおじいさんのケアもされて
いたそうですが、おじいさんの認知症が始まった頃、風間さんは
おいくつでしたか。
🙎 風間トオルさん(以下、風間) 小学校2年生くらいだったと思います。
もともと糖尿病を患っていて、それからいつも寝ているようになって。
おじいちゃんは80代で亡くなっているので、70代の頃に認知症が
始まったんじゃないかな。
👱 当時の風間さんは、おじいさんの認知症をどのように捉えて
いたのでしょうか。
🙎 風間 当時は認知症という言葉も知られていなかったので、病気の
せいでこうなっているのかな、という感じでした。おばあちゃんも
「おじいちゃん、ちょっと病気になっちゃったんだよ」という風に
話していましたし、あまり重く受け止めている感じではありませんでした。
そういう時代だったのかもしれませんね。
夜中にいなくなって近所を探し回ったことも
👱 おじいさんの認知症の症状には、どのようなものがありましたか。
🙎 風間 すぐどこかに出かけちゃうので困ってましたね。しかも
なぜかわからないんですけど、全裸になって出かけるんですよ。
なのでご近所的な問題もあって。 子どもの時、学校から友達みんなで
帰っていたら、友達が「変な人がいるぞ」というんです。で、
指差す方を見てみたら、全裸のうちのおじいちゃんで。しかも
うんちしながら歩いていて、よその家の壁にそれを塗りたくっていて……。
👱 そのとき、風間さんはどうされたんですか?
🙎 風間 みんなは怪獣を見つけたような感覚で「うわ~!」と騒いで
逃げるので、さすがに「自分のおじいちゃんなんだ」と言い出せなくて。
それがちょっとショックでした。だから僕も一緒に逃げて、一度
家に帰って荷物を置いて、それからおじいちゃんを探しに行きましたね。
俺はあまり介護とは思っていなかったんですけど、おじいちゃんが
やったことの後始末とか、片付けはしてました。人の家に塗りたくって
しまった排泄物を、水で洗い流したりとか。おじいちゃんが家の中で
排泄物を塗りたくった時は、畳の下にウジ虫がたくさん湧いたりして
大変でした。 あとは夜中に出かけてしまったときは、起きて家の周りを
探さないといけなかったので、睡眠時間が2、3時間のときもありましたね。
ご近所さんは気を遣って見て見ぬ振り
👱 おじいさんの認知症について、ご近所さんは把握されていましたか?
当時、子どもがおじいさんの面倒を見ていることに対して、誰か大人が
介入してくれたら変わっていたのかなと思う部分もあるのですが……。
🙎 風間 うちの周りの家の人たちは知っていたと思います。でも、
見て見ぬ振りの優しさというのもあったのかなと。例えば、
うちのおじいちゃんが全裸で壁にうんちを付けながら歩いていたら、
やっぱりその家の人は嫌じゃないですか。でも、それを俺には
言わないんです。俺が壁を水で綺麗に洗っていたりしているのを
多分見ていたと思うんですけど、見て見ぬ振りをしてくれているというか。
そこでご近所の人から「なんだよ、うんこしちゃったのかよ」とか
言われると、俺も傷付いたと思うので、気を遣ってくれていたんじゃ
ないかな。だからこそ、そんなときはホースを貸してくれたり、
自転車を貸してくれたりしたんだと思います。
介護を大変だと思ったことはない
👱 なるほど。子どもの頃に、ご自身の家庭環境などを周りの人に
相談したことはありましたか。
🙎 風間 ないですね。「相談してもどうにもならない」と思っていたし、
他の家でみんながどんなものを食べてるかもわからなかったから、
ごはんがないならないで仕方がないな、と。あとは助けてもらう、
という発想がありませんでしたね。家のことやおじいちゃんの
介護のことを、周りに「助けて」と言うほど大変だとは思って
いなかったのかもしれません。 「俺がやらなきゃ誰がやるんだ」と
いう感じだったし、毎日考えている間も無く次から次へと事件が
起きるから。だから唯一、学校に行っている時がすごく楽しかったですね。
友達と会って遊べる、自由な時間だったので。
👱 学校生活と、おじいさんの介護を両立するのは大変ではなかったですか?
🙎 風間 小学校を卒業するぐらいにおじいちゃんが亡くなったので、
それまでずっと介護をしてきましたが、大変だと思ったことは
ないんですよね。それが当たり前だと思っていたので。学校は
楽しかったので、休んだことはほとんどなかったです。しかも学校に
行けば、給食で栄養が摂れるじゃないですか。だから体のためにも
「学校は絶対に休んじゃいけないな」と思っていました。
『徹子の部屋』に出演し、幼少期の貧困や家族の介護を公表
👱 子どものころ、学校以外に心の支えになっていたものはありますか。
🙎 風間 「早く大人になりたい」という思いだけでしたね。自分でお金を
稼いで、好きなものを食べて生活したいと思っていたので、早く大人に
なりたいとばかり考えていました。 小学生の時に、多摩川の河川敷に
来ていたホットドッグ屋さんがあって、よくそのあたりで遊んでいた
俺は、たまにキャベツの千切りを手伝わせてもらっていたんです。で、
その代わりにホットドッグを貰うという、ちょっとしたアルバイト
体験をしたことは自分にとって大きかったですね。多分そういう、
早く自立したいという気持ちが支えになっていたのかもしれません。
👱 風間さんが貧困やおじいさんの介護のことを公表されたのは、
いつ頃のことでしたか。
🙎 風間 確か、2010年に『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に出演した
時ですね。「どういう子ども時代だったんですか」という話の流れ
だったと思うんですけど、徹子さんから意外と根掘り葉掘り
聞かれたので、「これはちゃんと話さないといけないな」と思って。
自分がヤングケアラーだと思っていなかった
👱 周囲からはどういった反響がありましたか。
🙎 風間 「嘘だろ」って言われました。お金持ちのボンボンだと
思われていたみたいです(笑)。2016年に『ビンボー魂
おばあちゃんが遺してくれた生き抜く力』(中央公論新社)という本を
出してからは「勇気をもらいました」など、色々な反響をもらいました。
「自分の子どもに読ませたい」というお母さんとか、学校図書にして
ほしいという声もいただいて。俺にはそんな力はないんですけど(笑)。
👱 近年、ヤングケアラーの問題が注目されるようになりましたが、
当事者のおひとりとして、ニュースなどを見て思うところはありますか。
🙎 風間 昔はそう言う言葉もなかったし、俺も自分がヤングケアラーだと
思っていなかったんです。でも今は、ヤングケアラーだという
若い人たちもたくさんいて、声をあげている人もいる。なので
「自分と同じような人がこんなにいっぱいいるんだな」と思いました。
みんなよその家庭のことはわからないし、自分の家庭のこともわからない
じゃないですか。特に子どもはそういう状況にあっても、自分からは
話しづらくて誰にも話さないんじゃないかな。 話して解決する
問題でもない、というのも大きいかもしれません。友達に話しても
解決しないだろうな、という諦めのようなものというか。
一瞬だけの優しさに甘えないようにしていた
👱 ヤングケアラーだった当時、「こういうことがあれば助かったな」
「こうしてほしかったな」と思うことはありましたか。
🙎 風間 「こうしてほしい、ああしてほしい」って一時的なものだと
思うので、一瞬良くなってもダメなんですよね。それがずっと続かないと。
だから子どもの時に優しくしてくれる大人はいたんですけど、
「これは一時的なものだから、それに甘えてしまうと自分の心が
揺らいでしまう」と思って、手を差し伸べようとしてくれるのを
お断りしていたんです。 永久に手を差し伸べてくれるならいいけど、
今の一瞬だけ優しくされても、逆に甘えちゃうじゃないですか。
その優しさは一瞬だから、すぐになくなってしまうわけで。
そうなると、甘えちゃった自分の気持ちを元に戻すのが結構大変だから。
子どもの 時、知らない人から「お年玉をあげるよ」と言われたことが
あるんですけど、俺には「かわいそうだからあげるよ」という風に
見えたんです。だから「いいです、結構です」と断ったら、「可愛くない」と
頭をご つんと殴られてしまいました(笑)。
子どもの小さなSOSを近くにいる大人が見てあげることが大事
👱 今、ヤングケアラー問題や家族関係に悩んでいる人も多い社会に
おいて、風間さんはこうした問題についてどういったことが必要だと
考えられますか。
🙎 風間 子どもが何か環境を変えようと思っても、自分から家を出て行く
こともできないし、そういう子達にとっては大人になるまで待つしか
手段がないと思うんです。俺も子どもの時、「自分で稼げるように
なるまで耐えるしかない」と思っていたので。
そういう子どもたちって、誰かに相談するってことはないんですけど、
必ず何かしらのSOSを出しているとは思うんです。それは人に対して
出しているというより、醸し出しているというか。子どもが自分から
誰かに対して発信することは、多分あまり多くないと思うんですね、
きっと「恥ずかしい」という気持ちもあるだろうし。 だから、
その小さなSOSを近くにいる大人が見てあげることがすごく
大事なんじゃないかな。でも、いきなり「どうしたの」と声をかけても
絶対喋らないと思うんですよ。必要なのは回を重ねるというか、
信頼を重ねるという意味で、近所の人が挨拶だけでもいいし、
毎日声をかけるようにする。そうするとだんだん話す機会ができて、
子どもが出したサインを見逃さずにケアできるようになると思っていて。
だからこそ、子どもが話をできるようなコミュニケーションづくりを
日頃から行っていく、というのは、こうした問題の解決のためには
必要なことだと思っています。
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