「裏切られた」不登校だった少年が抱えていた孤独

     

 

       

          松波翔さん(亡くなる数か月前に撮影)

《和子は又々こんな記事を見た~》

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      学校にあらがい続けた13歳の死、

                   教育委員会の対応は「機能不全」に

 大阪府泉南市で昨年3月、中学1年の少年(13)の遺体が見つかった。

小学校時代から他の児童や教員との関係に悩み、不登校になった末に

命を絶った。亡くなった後の学校や市教育委員会の対応は誠実さを欠き、

遺族は不信感を募らせた。現在は、市長直属の第三者委員会が自死

至るまでの経緯を調査している。 市教育委員会が遺族に開示した文書には、

少年と教師らの会話の記録が残されていた。少年が何度も口にしていたのは

「裏切られた」という言葉。彼は何に怒り、絶望したのか。資料や親しかった

人たちの証言をたどると、深い悩みを抱えた13歳の孤独が見えてきた。

 ▼ 「お母さんには借りがある」  

和歌山県との府県境に位置する泉南市。大阪湾に臨む府道沿いの

ショッピングモールから少し山手に入ると、

小さなため池がある。遺体は昨年3月19日、そのほとりで警察が発見した。

少年は松波翔さん(13)。地元の中学校に通う1年生の男子生徒だった。

翔さんは前日から行方不明になり、夜になっても戻らなかったため家族が

警察に連絡していた。 母親の千栄子さん(49)は、翔さんと最後に

やりとりしたのが17日の夜だったと記憶している。その日は、2歳年上の

兄の高校受験の合格発表があった。進学が決まったことを祝って家族で

外食し、家に帰ってからはテレビゲームに興じた。「その夜、翔は寝る前に

私の部屋に来て肩をもんでくれたんです。『お母さんには借りがあるから』

なんて言って。照れ隠しかなと思ったんやけど、今思えば、あの時、

もう気持ちは決めていたのかもしれません」  

    ▼   不登校のきっかけは教師から兄への暴言  

翔さんは小学校高学年の頃から、断続的に不登校の状態になっていた。

千栄子さんによると、きっかけの一つは小学3年の頃、音楽の授業に

遅刻した兄の身に起きた出来事だ。「おまえは障害者や」

「将来はニートになる」。教師からそうなじられ、兄は授業を受けられなく

なった。学校側は「担当教員は『ニート』や『障害者』という言葉は言って

いないが、本人(兄)や周りの子どもたちがそう思ってしまうであろうことを

発言した」と総括し謝罪。クラス全体にも経緯を説明したとして幕引きを

図ったが、兄や家族は「無理やり謝罪を受け入れさせられた」と抗議した。

「翔は、お兄ちゃんが侮辱され、教師たちが不誠実な対応でごまかそうと

するのを間近に見ていた。2人はこの件をきっかけに他の児童からいじめを

受けるようになった」。千栄子さんはそう証言する。 5年生の春、翔さんは

最寄り駅の公衆電話から「先生の体罰が怖くて学校に行けない」と110番した。

大阪府警が遺族に開示した相談受理の記録によると、兄が教師から暴言を

受けたことや、自分自身も別の教師に投げ飛ばされたことを泉南警察署の

少年係に訴えていた。6年生に進級すると、全く学校へ通わなくなった。

「この1年は行かんって決めてる」。登校を促す教師らにはそう反発し、

小学校最後の1年間は1日も出席しなかった。  

     

  ▼「明日からは行かん」  

中学校に行けば、教師や生徒の顔ぶれも変わる。環境の変化を期待したのか、

年度替わりの時期を迎えると、翔さんは周囲に「中学になったら、学校に行く」と

語るようになった。実際、2021年4月に中学へ進学後、しばらくの間は

登校を続けていた。授業に出られない日も学校には足を運び、飼育していた

イモリの世話などを喜んで引き受けた。だが夏休みを控えた7月のある日、

小学校時代の不登校について「同級生から『少年院帰りだから』

『障害だから』などと陰口を言われるようになった」(千栄子さん)。

 根も葉もない噂を立てられ苦しんだ翔さんは、クラス担任に「小学校の時に

通えなくなった経緯を他の生徒に説明してほしい」と求めたが、受け入れて

もらえなかった。2学期が始まって1カ月ほどたった頃、学校から帰った

翔さんは「明日からは行かんから」と宣言し、再び不登校になった。

千栄子さんは、その日に学校で何かあったのではないかと考えている。

「あの子の身に何があったのか。それが死を選ぶ原因につながった可能性は

ないのか。私が知りたいのはそれだけなんです」  

   ▼  翔さんの死と向き合わない教育委員会と学校  

千栄子さんが強く憤るのは、翔さんが亡くなってからの市教育委員会

事務局や学校側の対応だ。事務局は、遺族に弔問を拒否されたことを理由に

「事実関係が確認できない」と主張し、翔さんの自死について4カ月も

教育委員会に正式な報告を上げなかった。中学校が翔さんの死から

1カ月後に作成した「基本調査報告」には、家庭に責任を転嫁するような

記述が並ぶ。教職員アンケートで翔さんについて何らかの回答を寄せたのは

わずか11人だったが、学校側は「本事案(翔さんの死)に関する情報は

特になかった」と早々に結論付けた。

「翔の悩みや、学校の問題をなかったことのように装うのが許せない」。

千栄子さんは、泉南市が常設する「子どもの権利条例委員会」に助けを求めた。

この委員会は有識者や市民代表で構成される独立性の高い組織だ。  

条例委員会は事務局にヒアリングを重ね「基本調査報告」などの提出を

求めたが、事務局は拒否。冨森ゆみ子教育長に対する出席要請も「公務」を

理由に応じなかった。条例委員会が一連の経緯をまとめた報告書を

作成すると、今度は顧問弁護士のコメントを盾に「内容の一部に守秘義務

違反が疑われる」と主張し、市長への提出を妨げようとした。  

  ▼ 教育委員会は「機能不全」  

事態が動いたのは昨年7月だ。事務局の態度に業を煮やした条例委員会が

記者会見を開き、会長を務める千里金蘭大の吉永省三名誉教授は次のような

文言でその実態を「告発」した。「子どもの自死から3カ月以上経過した

現在も、事務局は教育委員会に報告していない。基本調査報告は保護者に

一切明らかにされず、市内の校長会にも報告されていない。教育委員会制度が

機能不全に陥っている」

 翌日、泉南市議会は全議員が出席する「全員協議会」を開き、翔さんの自死

事案を取り扱った。議員らは「子どもの命に向き合う気があるのか」と

事務局を厳しく非難した。 山本優真市長は「今後は教育委員会に任せず、

市長主導で動く」と宣言し、条例委員会の報告書を受け取った上で、新たな

三者委員会を立ち上げて調査することを決めた。第三者委員会の調査は

今年1月に始まったが、審議は全て非公開で、進捗状況は遺族にも

明かされていない。学校で一体何があったのか。翔さんの死から1年5カ月

たった今も、千栄子さんはその輪郭すらつかめずにいる。  

   ▼  学校に行かないのは「裏切られたから」  

翔さんは一体どんな子どもだったのか。残された資料や関係者の証言から

たどってみたい。遺族の請求を受けて今年7月に開示された学校作成の

「指導記録」には、教師たちとのやりとりが一部残されている。この中で

目を引くのは、翔さんが教師らに何度も投げかける「裏切り」という言葉だ。

たとえば6年生だった2020月6月23日の記録には、こういう記載がある。

教師らが自宅玄関前で翔さんに登校を求める場面だ。

翔さん「おれが休んでるのは、学校のせいやで」  

教師「どういう理由で?」  

翔さん「あなたたちが裏切るからやん」  

教師「どんな裏切り行為をしたの?」  

翔さん「なんで言わないとあかん?」  

教師「言わないとわからへんやん。裏切りは、私たちはしてないと思ってる」  

翔さん「で、何?言って終わり。さようなら。他に何か話すことあるん?」  

教師「学校行こう」  

翔さん「口開けたら、学校行こうなん?」  

教師「そうや。学校来てほしいから」  

会話はいつもこうした流れで平行線をたどる。教師たちは何度も自宅に足を

運び、登校するよう呼びかけるが、翔君の真意はくみ取れない。

翔さんも「何か文句あるん?」「一生来るな。来ても(学校には)行かん」

などと荒い言葉づかいで相手を拒み続ける。不登校になっている頃の

やりとりは、ほとんどがその繰り返しだ。  

一見すると、翔さんの態度に問題があったように読めるが、千栄子さんは

「開示された文書の内容には実態と異なる部分も多い。『生徒本人や家庭に

問題がある』という学校側の一方的な見方で作られている」と指摘する。

  ▼   母に買って帰ったショートケーキ  

指導記録では粗野な発言やトラブルばかりが強調されている翔さんだが、

実際に交流のあった人たちの印象は大きく異なる。子どもの居場所づくりに

取り組むNPOで、何度か翔さんと話したという女性(44)はこう振り返る。

「幼稚園児だったうちの子の面倒をみてくれる優しいお兄ちゃんだった。

すごく落ち着いて、穏やかで。大人びていて、話の内容は中学生か

高校生みたいだった」 2020年9月から半年間は、隣接する阪南市

障害者の保護者らが運営する「たんぽぽカフェ」を手伝っていた。翔さんの

「仕事」は注文を聞いてカートリッジ式の機械でコーヒーをいれること。

スタッフの女性たちからは「翔ちゃん、翔ちゃん」とかわいがられた。  

スタッフの一人は、母親思いの優しい子だったと語る。「翔ちゃんは

小学生だったから、アルバイト代を渡すわけにはいかないでしょ。だから、

お礼の代わりに一緒にケーキを買いに行ったの。そしたら

『お母さんの分も』って言って、いちごのショートケーキを二つ買って帰ったわ」

 不登校だった6年生の頃、翔さんは毎朝、千栄子さんが勤務するNPO法人

事務所に通った。他のスタッフと遊んだり、周辺を散策したりして時間を

過ごし、千栄子さんの仕事が終わると一緒に帰る。そんな日々を過ごしていた。  

NPO法人の代表を務める梅川昭子さんは、翔さんに連れ出されて、

事務所から徒歩10分のところにある海岸線まで何度も往復したという。

「翔君は海沿いを歩くのが好きだったから、毎日のように行きましたよ。

釣りも好きだったし、生き物全般が好きだったんじゃないかな。拾ってきた

虫を人の肩にのせて、びっくりさせる。そんな子どもらしい一面もあった」。

梅川さんが案内してくれた堤防からは、大阪湾が一望できた。

彼はここに来ると、いつも1時間くらい波打ち際を歩いて過ごしたという。  

▼ 今も分からぬ死の理由  

一周忌となる今年3月下旬。千栄子さんと兄は子どもの権利条例委員会の

メンバーとともに、翔さんの遺体が見つかった池のほとりを訪れ、

花を手向けた。目をつむり、手を合わせる千栄子さんの肩は小刻みに揺れていた。

 なぜ死を選んだのか。その理由は今も不明だ。第三者委員会の調査が

尽くされても、どこまで明らかになるかは分からない。ただ、翔さんが

学校生活の中で何かに傷つき、「裏切られた」と感じたこと。それが

きっかけとなって不登校になったことは間違いない。「期待すればするほど、

裏切られた時のショックは大きい。彼は本当は学校に行きたかったんだと思う。

でも、それができなかった。だから余計につらかったんじゃないかな」。

翔さんを知る人は、二度と語られることのない胸の内をそう推し図った。

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【寝て練った 良い句だったが 朝忘れ(シルバー川柳)】