《和子は又々こんな記事を見た~》
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「施設がないなら自分でつくる!」
事故で寝たきりの息子を介護する、
母の挑戦【親なき後を生きる】
交通事故で重度障害を負った息子のを介護する母・山田和美さん
「先日の記事『交通事故で息子が寝たきりにー介護を続ける親の
苦悩「親なき後」への不安』を読み、
我が家だけが特別ではないこと、
そして、日本中、同じ思いをしている方が大勢おられるということを改めて
知りました。『親なき後』の問題は当事者にとって非常に深刻です。
それだけに、弊社の事業は、何がなんでも継続していかなければならないと
いう強い使命も感じました」
そう語るのは、群馬県高崎市で重度障害者専用のアパート&シェアハウスを
経営する山田和美さん(52)です。
■19歳の息子が、無保険車の暴走事故被害で重度の脳障害に……
長男の良さん(32)は、2008年2月10日の交通事故で脳を損傷し、
遷延性意識障害となりました。以来、ずっと寝たきりで、現在も言葉を発して
コミュニケーションをとることはできません。全介護の生活を送っています。
山田さんは経営者として、また、わが子を介護する母親として、
極めて多忙な日々を過ごしていますが、事故当時の衝撃は、13年経った今も
昨日のことのように鮮明に思い出すといいます。
「息子はその日、知人の父親の運転する車に同乗していました。
車は片側2車線の道で、かなりの速度を出した後、道路わきの街路樹に
激突したようです。意識不明で生死をさまよう息子に対面したとき、心が
一瞬にして壊れ、医師から言われた言葉、目に見えるものすべてが、
夢なのか、現実なのかわからなくなり、受け止めるにはかなりの時間が
かかりました」
運転していた男性は任意保険に加入しておらず、山田さんは自身の
自動車保険や祖父が加入していた保険、障害年金などで、良さんの治療費や
介護費をまかなわざるをえませんでした。
シングルマザーだったため、さまざまな苦難をすべて一人で受け止め、
障害を負った良さんと、長女を育ててきたのです。
🚷 息子の良さんが同乗した車は、左車線を高速で走り、
道路左側の街路樹に激突した
■在宅介護スタートも、ぬぐえぬ「親なき後」への不安
良さんが1年2カ月入院している間に、山田さんは「退院後は自宅で
自分が看る」ことを決意しました。介護しやすい機能的な自宅を新築し、
福祉用具等をそろえ、そして、相談支援専門員に相談しながら、
デイサービスなどの協力を得て、在宅介護をスタートさせたのです。
「在宅介護をはじめて1カ月たつ頃には、良の体の筋緊張も緩み、
1年以上閉じたままだった右目も開くようになりました。私はそんな息子の
息遣いを傍らに感じながら、家族一緒に生活できることの幸せを心の底から
感じました」
一方で、山田さんの心の中には、いつも拭い去れぬ不安があったといいます。
それは「親なき後」のことでした。
「いつの日か私がいなくなったら、この子はどうなるのだろう? 私と
同じ思いで世話をしてくれるところはあるのだろうか……、そんな焦りを
感じるようになっていました。県内にあるいくつかの施設を見学して
みたのですが、家での生活とはかけ離れており、どうしてもお任せする
気にはなれません。でも、このままいけば、最後には入れたくない施設に
お願いするしかないのだということを、現実として突き付けられたのです」
🚷 自身が立ち上げた「リーベハウゼ」の1階居室に入居する良さんに、
優しく語りかける山田さん
■「群馬になければ創ればいい!」母は立ち上がった
2012年の春、山田さんはNASVA(自動車事故対策機構)の交流会に
参加したことをきっかけに、横浜にある「タンポポの花」という
グループホームを見学する機会がありました。そして、同ホームの代表の
話を聞いて目の前が開けたというのです。
「その方はおっしゃいました。『群馬になければ、創ればいい!』と。
それまでは自分で始めるなんて一度も考えたことがありませんでした。
もちろん、こうした事業の苦労は並大抵のことではないことも
理解していました。でも、『息子さんのことを一番に考えていれば絶対に
失敗はしない』という一言に背中を押され、親なき後の問題がわずかでも
解消できればという希望をもって、事故から4年後の2012年9月に
法人を立ち上げました。そして、2019年10月、重度身体障がい者も
暮らせるアパート&シェアハウス、オープンにこぎつけたのです」
■めざすのは重度障害者が一人でも普通の暮らしができる家
『リーベハウゼ』は、JR高崎駅から車で6分の静かな住宅街にあります。
その名の通り、ドイツ風のお洒落で落ち着いた雰囲気の2階建ての住宅です。
『リーベハウゼ』の外観。デザイナーは「ドイツの建物の落ち着いた
感じが良い」とう山田さんの想いに耳を傾け、ドイツへ取材旅行に行き、
土地探しも一緒に行ってくれたという
入口のドアを開けると、目の前に広がる明るいフロアはすべて
バリアフリーに。1階には重度身体障害者専用の居室が8室、それぞれに
エアコン、洗面台、移乗用リフトなどが設えられています。
テレビの置かれたダイニングキッチンとリビングは共用。
ランドリースペースには入居者一人一人用に洗濯機が設置され、
特殊浴室も完備されています。
2階のシェアハウスフロアには6つの部屋が用意され、こちらには、
エアコン、ダイニングキッチン、シャワールーム、トイレ、洗面台、
ランドリースペース、バルコニーが設置されています。
介護スタッフは24時間常駐。入居者それぞれの障害に合わせた
ケアプランを作成して福祉サービスを選び、一人でもごく普通の
暮らしが実現できるよう工夫されているのです。
🚷 リハビリ用具が置かれた1階の部屋
交通事故死者の減少が伝えられる一方、脳やせき髄を損傷し、要介護の
重度後遺障害を負う被害者は、毎年コンスタントに1600~1700人
生まれています。しかし、こうした被害者を長期にわたって受け入れることの
できる病院や施設は少なく、結果的にその介護は家族がぎりぎりの
マンパワーで担っているのが現状です。
こうした中、アットホームな雰囲気で24時間介護を受けながら暮らせる
シェアハウスは大変貴重な存在です。
『リーベハウゼ』のような、脳損傷で重度障害者となったかた用の
アパート&シェアハウスは、全国でも珍しく、山田さんの元には遠方からも
問い合わせが相次いでいるといいます。
■初めて朝までぐっすり眠ることができた
2年前、オープンと同時に『リーベハウゼ』への入居を決めたのは、
2004年3月、26歳で交通事故に遭って遷延性意識障害になった新潟県の
男性と70代の母親でした。男性は今、1階の重度身体障害者専用の居室に、
母親は2階のシェアハウスフロアの居室で暮らしています。
長年にわたって、たった一人で寝たきりの息子の介護を続けてきた
この女性は、『リーベハウゼ』へ越してきて初めて、
「朝までぐっすり眠ることのできる生活」を取り戻したといいます。また、
月に1~2度は新潟の自宅の管理のために帰宅し、仲間に会ったり、
美容院に行ったりすることもできるようになりました。これまでは、
自分が風邪をひいて寝込むことすらできなかったのです。
何より「親なき後」への不安がなくなったことは、どれほど心に
ゆとりを生んだことでしょうか。 山田さんはこう語ります。
「事故にさえ遭わなければ……、その悔しさはいつも頭の中に浮かんできます。
やるせない気持ちでいっぱいになります。でも、その思いはブラックボックスの
中に閉じ込めて、『これも自分の人生なんだ』と、よい意味で開き直り、
ほんのわずかなことでも幸せを感じるようにしています。日々の介護に
追われ、その先のことまで考えて不安になり、
心身ともに疲弊してしまうのでは、せっかくの『今』を親子で楽しむことが
できません。このような住宅が全国各地にあれば、先のことを心配せず、
家族としての時間を過ごせるのではないでしょうか。私自身、
いつまで一緒にいられるかわかりませんが、これからも前向きに、
息子とともに生きていこうと思います」
🚷 母・和美さんと息子の良さん。間もなく事故から14年になる
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