《和子は又々こんな記事を見た~》
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電車事故で手足3本を失ったサラリーマンが語る
「どん底からの復活」
山田千紘さん(29歳)は2012年7月24日、電車との接触事故により、右腕を肘上、
右脚は膝下、左脚を膝上から切断する重傷を負った。 当時20歳だった山田さんは
ケーブルテレビ会社の営業職として採用されたばかり。仕事が楽しく、職場の
付き合いも欠かさず充実した毎日を送っていた。 事故当日は体調がいつになく
悪かったが、夜には会社の飲み会があった。普段は酒好きの山田さんも、この日は
なぜかまずく感じられ、飲むことができなかった。だが、「先輩よりも先に帰る
タイプではなかった」山田さんは終電間際まで飲み会に付き合った。それが、
事故に遭うまでの最後の記憶だ。 後日、警察に聞くと、山田さんは帰りの電車で
眠り込んでしまい、自宅のある駅を乗り越し終着駅までついたという。駅員に
起こされた山田さんはそのまま終着駅のホームで寝てしまったが、その後なぜか
立ち上がりホームに転落。そこに最終電車が進入してきたのだったーー。
ここまでが、山田さんが動画でも語っている事故の経緯である。 それから
8年後の2020年、事故と同月同日にユーチューブチャンネル「山田千紘
ちーチャンネル」を開設した山田さん。 ある日突然、手足を3本も失うという
想像を絶する体験をしたにもかかわらず、それを明るく笑い飛ばす姿が大きな
反響を呼び、2か月あまりで登録者数7万人に迫る勢いとなっている。
そんな彼にどん底から立ち直るまでの経緯と心の動きを伺いながら、
その「考え方」の秘密に迫った。
「助かった命を無駄にするな」兄の言葉に救われる
事故に遭った瞬間の記憶がないとおっしゃっていますが、事故に気づいた当初の
心境についてお伺いできますか? 目が覚めると、最初は夢の中だと思いました。
利き腕の右手で目ヤニをとろうとすると、右腕の感覚は残っているのに、
ないように見えたので「冗談だろ?」と思いました。脚も同様で、しかも、
切れた両脚の長さが違っていた。 自分の部屋のベッドではなく、
病院のベッドなのはすぐわかったので、「夢にしてはリアルすぎるだろ」……と
怖くなったのを覚えてます。 とりあえず夢うつつの状態のまま顔を洗いに行こうと
立ち上がろうとしたら、そのままベッドから落ち、激痛とともに現実を突きつけられた
のです。 「僕の手足はもうなくなった、人生も終わったんだ」というのが
1番最初に思ったことです。 ――「絶望のどん底」に落ちた時期は、
どのようなことを考えていましたか。そこから立ち直るまでの思考の変遷過程を
お伺いしたいです。 ICU(集中治療室)から一般病棟に移り、1週間ほどがどん底
だった時期でした。その時は本当に毎日毎日「死にたい」「誰でもいいから殺して
くれ」と、助かったことに対する後悔ばかりで、ネガティブなことばかり
考えていました。 変わるきっかけは、振り返ると色々ありましたが、家族や友人など周囲が今までと変わらない接し方をしてくれたことでした。 僕が変わって
しまうことで、そういう人達まで変わってしまうのが1番怖かったのです。
じゃあどうすれば良いかと考えたとき、「今までのように明るい自分に戻らなきゃな! よく考えたらまだ左手があるし、口があるから伝えたり話すこともできる。
目があるから見ることもできるし、耳があるから誰かの声を聴くこともできる。
まだまだできることたくさんありそうじゃん!」と、ポジティブに思うように
なっていきました。 ――周りの人にずいぶんと助けられたのですね。
その通りです。周囲の支えがあって、ここまでこれたのだと思います。
もし一人だったら僕は今この世にいなかったかもしれないし、感謝の念で
いっぱいです。 ICUにいたときの記憶はほとんどないのですが、泣き崩れる両親の
横で、兄が僕に「手足はなくなったけど、助かった命は無駄にするんじゃないぞ」と
言ったそうです。そのことを後に聞いて、ずっと胸に残っています。
――しかし、手足3本を失う事故はやはり衝撃的な出来事だと思います。そこから
気持ちを切り替えられたきっかけはなんだったのでしょうか? 直接のきっかけは、
高校時代から仲良しだった友人たちが1番最初にお見舞いに来てくれたことが
大きかったと思います。 彼らは病室で寝ている僕を見るや
「なんだ元気そうじゃん」と言いました。こっちからしたら「どこがだよ!」と
思ったけど、結局彼は2~3時間もいて、今までと変わらずたわいもない話をしました。 そして、「じゃあな」といって彼らをエレベーターホールで送り出した時、
そういえばケガの話を聞かれていないことに気づいたんです。まるで、
「ケガをしても俺たちの関係は何も変わらないぞ!」という、無言のメッセージを
もらっているかのようでした。 すると、エレベーターのドアが閉まった瞬間から、
涙があふれて止まりませんでした。「病院ではなく、今までのように彼とまた遊びたい!このままじゃダメなんだ」と強く思いました。 その日は一晩中眠れませんでした。
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和子が小学4年生の夏に病院の先生から「カリエスです。骨の腐る病気です」と言われて、「手術をしないと段々と広がって行くから手術しましょう」と
言われ、未だ幼い和子は手術と言う意味も分からず・・・母に・・・
和子 「ね~手術ってどうするの?」
母 「足を切るのよ~」
和子 「足を切ってかーこは足の無い子に成るの?」
母 「そうじゃ無くって、足を切って腐った骨を削って呉れるのよ~」
和子 「じゃ~じゃ~かーこはカタワ(障害者)に成らんでも治るの?」
母 「大丈夫よ~かーこは未だ子供だから新しい骨が出来て来るから・・・」
母の言葉を聞いて初めて手術台に・・・その後も3年置きにカリエスは
再発して兄ちゃんに大津の赤十字病院に連れて行って貰い、廊下に立て掛けてある
義足を見た時には、和子は切断しないで済んで良かった~と胸をなで下ろす事が・・・この山田さんの記事を見て「生きてれば必ず幸せが来るよね?
やがて素敵な彼女が出来てパパにも成れるよね?乙武君だって・・・
山田さんも前向きに頑張って立派に社会人に・・・おめでとう❤❤❤