《和子は又々こんな記事を見た~》
めぐみさんが拉致されてから15日で43年になるのを前に、
取材に応じる横田早紀江さん。滋さんの45歳の誕生日に、
めぐみさんがプレゼントしたくしを持参した
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横田めぐみさん(56)=拉致当時(13)=が北朝鮮に拉致されてから
15日で43年となるのを前に、母の早紀江さん(84)が報道陣の取材に応じ、
「これほどの時間が過ぎたのに再会がかなわない。本当にむなしい」と率直な思いを
語った。前日の14日は今年6月に死去した父、滋さんの誕生日。めぐみさんが
贈ったプレゼントのくしを見るたびに、言いようのない虚無感が募る。
「ボロボロになってしまいましたが」。早紀江さんはそう言って、携帯用の
小ぶりな茶色のくしと、ケースを取り出した。昭和52年11月14日。
中学1年のめぐみさんがお小遣いを工面し、滋さんの45歳の誕生日に
渡したものだ。「お父さん、これからはおしゃれに気を使ってね」。
脳裏に残るめぐみさんの笑顔。滋さんがこのくしを肌身離さず持ち歩く
ようになったのは、単なるプレゼント以上の意味を持つことに
なってしまったからだ。 翌日、めぐみさんは部活を終えて下校途中、
北朝鮮工作員に拉致された。 早紀江さんはまだ幼かった双子の息子の
拓也さん(52)、哲也さん(52)を連れ、当時の新潟市内の自宅近くの
海岸を歩いた。娘の名前をいくら叫んでも、波に消える声に返事は
返ってこなかった。「11月になると嫌な気持ちになる。背筋が寒くなるんです」。
早紀江さんはうつむく。 9月に菅(すが)義(よし)偉(ひで)政権が発足。
拉致を最重要課題とする安倍晋三前首相の方針を継いでいる。早紀江さんは自宅の
滋さんの遺影に報じた新聞を示して「首相が代わったよ。また頑張って
くれると思うよ」と、声をかけたという。しかし、長らく膠着(こうちゃく)
状態にある拉致に、進展の兆しはなお見えない。 夫が生まれた14日、
娘が消えた15日。早紀江さんは「続いたのは不思議」としつつ、
「だからといって特に意識はない。今はただ、これだけ全力を尽くして
活動してきたのに一目も見ることができないという、むなしさだけです」。
局面の打開には「トップ同士の話し合いが一番大事」と、日朝首脳会談の
早期実現を望む。そして、国民に対しては、「自分ごととして拉致を学び、
思ってほしい」と呼びかける。 めぐみさんら被害者の帰国を祈り、キリスト教の
支援者らが定期的に開いてきた集会は、今月で200回目を迎える。
感謝の念は堪えないが、時間の流れも痛感している。 使い手を失ったくしは今、
滋さんの衣類などが入る引き出しの中に、大事にしまわれている。
「帰国がかなっても誰もいない、ということにならないよう、とにかく
元気でいようと思います」。かすれた声で、前を向いた。
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めぐみさんが拉致される3年位前に、団地の前の公園で遊んで居る、長男に
黙って、(一寸だけ・・・お友達の所へ・・・)と思ってお友達の所へ
お邪魔した隙に長男は行方不明に成って4時間、お巡りさんの捜索願いを
出して、最初は自転車で2人のお巡りさん・2人が4人・6人と増えて団地の
中央道路は野次馬の人盛りに成って・・・最終的には捜査本部を設ける結果に・・・
結局、長男はお隣りのお宅に居て捜査本部迄は設けなかったけど~あの長男が
居なくなってからの4時間、生きた心地のしない苦しい・辛い思いをしましたが、
その3年後に、めぐみさんの拉致のニュースを見て横田さんご夫妻の
心痛を思うと他人事じゃ無いです。あれから43年、横田さん初め、
拉致被害者の皆様のご苦労は言うに言えないご苦労だと思います。横田さんの
お父様も亡くなり2人の息子さんに支えられながらめぐみさんのお帰りを
待ち望んでいるお母さんの早紀江さん
拉致されてから43年の長い歳月、めぐみさんはご両親がこんなに苦しんで
めぐみさんの帰りを待ち望んで居られるのを感じて居るでしょうか?
確かに、めぐみさんもすき好んで北朝鮮に行った訳じゃ無いから両親を思う
気持ちは一般に嫁いだ和子達とは全然違うと思うけど・・・
事態はどうで有れ43年という年月は長いです。若しかしたら早紀枝さんと
同じ様に「日本に帰りたい・・・お父さんやお母さんに逢いたい・・・」と
日々苦しんで居るでしょうか?何時かお孫さんが早紀枝さんとご対面を
された事が有ったと記憶しますが、めぐみさんは立派なご主人と結婚して
幸せな日々を送って居るのでは???
43年の歳月は長いです。拉致被害者として皆さんを日本に戻すのが無理なら
せめて一度でも家族に逢わせて頂けないでしょうか?
お腹を痛めた我が子が北朝鮮でどの様な暮らしをして居るのかきっと知りたいと・・・思うのでは???