大ファンだった琴奨菊の引退・寂しい・・・

 

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           《和子は又々こんな記事を見た~》

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  元大関十両琴奨菊が引退決意、年寄「秀ノ山」襲名へ

<大相撲11月場所>◇7日目◇14日◇東京・両国国技館 大関経験者の

十両琴奨菊(36=佐渡ケ嶽)が、引退を決意したことが14日、分かった。今後、

引退への手続きを進めて、早ければ同日中にも正式発表する。今場所はここまで

1勝5敗だった。協会理事会の承認を経て、年寄「秀ノ山」を襲名する見通し。

西前頭11枚目だった9月の秋場所で左ふくらはぎを肉離れして途中休場し、

今場所は15年ぶりに十両へ転落した。場所前に取材に応じた際には

「勝てば上がれるし、という世界。前を向いていく。ネガティブ的にとらえがち

だけど、自分としてはポジティブなところがたくさんある」と話すなど、

意欲を見せていた。幕内復帰を目指していた今場所だったが、白星は2日目の

松鳳山戦のみ。1勝5敗と厳しい状況だった。 明徳義塾中で中学横綱に輝き、

同高で団体など7タイトルを獲得し、02年初場所初土俵を踏んだ。代名詞の

がぶり寄りを武器に、11年秋場所後に大関昇進を果たし、16年初場所では

日本出身力士として10年ぶりに賜杯を抱いた。しかし、度重なるケガや若手の

台頭などにより徐々に番付を落とし、今場所は05年春場所以来となる十両に陥落。

関取最年長の琴奨菊は、土俵を下りることを決めた。

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各界のプロフェッショナルの子ども時代や競技との出会いなどに迫る

「プロに聞く」。今回は大相撲の幕内力士、琴奨菊(36=佐渡ケ嶽)が力士人生を

振り返った。中学から親元を離れて相撲留学。7月場所で幕内通算勝利数も716に

伸ばし、歴代単独6位となった関取最年長の大関経験者が、ジュニア世代に

メッセージを送った。

                ◇   ◇   ◇  

自宅の庭にある土俵が、琴奨菊の原点だ。小3で相撲を始めると1年後、相撲好きで

熱心に応援してくれた祖父一男さんがつくってくれた。天候が良ければ1日2時間、

四股やすり足で汗を流した。雨が降ったら土俵にブルーシートを敷いて土のうを

置き、近所のグラウンドに移動。5キロ超のタイヤを引いて下半身を鍛えた。

「今と変わらず、相撲は生活の一部。放課後に友達と遊べないことが、ちょっと

つらかったけど」。自宅での稽古に休みはなかった。休む場合は父一典さん(65)

に「お伺い」を立てる必要があった。「『休ませてください』と言葉にするのも

難しくて、ほとんど言ったことはないんですけどね」。角界入り後、当時通っていた

小学校の担任教師は「(琴奨菊と同じ相撲大会に参加した)クラスのみんなは

『毎日あれだけ稽古をやっている菊次君には勝てない』と言っていたぞ」と

教えてくれた。それが印象に残っているという。

 

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週に3回は、福岡・柳川市の自宅から車で1時間以上かかる久留米市の井上道場に

通った。当時勝てなかった「県で一番強い宮崎君」がその道場にいたためだ。

送り迎えは祖父がしてくれた。08年に76歳で亡くなったが「おじいちゃんが帰りに

ステーキをごちそうしてくれた。それがうれしかった」。支えてくれる家族を

思うと「自分がここで逃げ出したらだめ」という気持ちが自然と湧いてきたという。

知人の勧めで中学校から高知の明徳義塾中に相撲留学した。全寮制で起床時間は

6時ごろ。朝昼晩の先輩への給仕はもちろん、洗濯などの身支度は初めての

経験だった。「生きる知恵は明徳の6年間で学んだ」。高知の山奥で遊ぶ場所はない

息抜きといえば、仲の良かった他の部活の同級生と、卓球で真剣勝負をすること

だった。アマチュアでは中学横綱、高校でも7タイトルを獲得した。相撲漬けの

毎日だったが「苦しいとかつらいとか、あまり感じたことはなかった。

『もっと強くなれるんじゃないか』というマインドの方が強かった」。在学中、

福岡の両親に自ら連絡することはほとんどなかったという。

「今思うとかなり気を使っていた。家族に心配をかけたくなくて」。

36歳となった今でも、勝ち越した際や場所を終えた報告など、相撲に関する

連絡が家族に対してはついつい遅れてしまう。「(連絡をするのは)身内が

最後だと思っている。力士が終わったら、素直になれるのかな」。

高校を卒業して18年が経過した。7月場所前に同学年のライバル、

元関脇豊ノ島(現井筒親方)が引退。気付けば関取最年長になった。同部屋では

兄弟子の元大関琴光喜を追いかけ、同年代の力士には元横綱稀勢の里

(現荒磯親方)や豊ノ島らがいたが、今はいない。「引っ張り上げてくれる人が

いなくなって悩む時期もあった。今は自分が変わっていく過程が楽しくて、

考えながら相撲の変化を楽しんでいる」。7月場所では、膝を伸ばした状態で手を

つく新しい立ち合いで臨み、1年4カ月ぶりの勝ち越しを決めた。

試行錯誤は続いている。ジュニア世代の子に伝えたいことがある。

「いつか負けちゃいけない場面が来る。相撲だけじゃなく、勉強や試験でここ一番が

来る。今は負け続けてもいいので、そのときに備えてほしい」。16年初場所では、

日本出身力士として10年ぶりの優勝を果たした。関取最年長の36歳は、

現役へのこだわりを強く持っている。

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和子は琴奨菊が大好きだった。何故なら夫の甥っ子に感じが似てるから・・・

甥っ子も小さい頃からデブちゃんで5歳年上のお姉ちゃんと和子の家に

泊りに来て、和子の息子(長男)の積りで小さい頃から・・・「俺~

和子オバサンの息子に生まれたかった・・・」って良く言ってたっけ?

今はしっかりパパさん遣ってるけど・・・やっぱり可愛い・・・

そんな甥っ子と琴奨菊は全然違い、立派なお相撲さんですが、やっぱり

琴奨菊も可愛い・・・

取っても真面目で「相撲には怪我は付き物」と心得て居る様で休場する様な

大怪我はしなかったのに・・・大関を転落した時も照ノ富士八百長相撲を

遣られて和子は、体当たりでしっかり相撲を取って転落したのなら諦められるけど、

照ノ富士に肩透かしか何か遣られて惜しくも大関を去り悔しかった事は

忘れません。

 

琴奨菊稀勢の里豪栄道・貴花時代の相撲は楽しかったなぁ~

琴奨菊長い間、和子を楽しませて呉れて有難う~

此れからは年寄「秀ノ山を襲名し、立派な親方に成って頑張ってね?

楽しみにして居ます。本当に長い間、v(^_^v)♪ありがと~♪(v^_^)v~

 【体調の 良い日は医者を はしごする(シルバー川柳)】