《働き者のたずえ姉さん-1》
昔、和子が社会人に成って、社員寮に入った当時(S・35年頃)は創価学会が
流行り出した頃、と言うか・・・未だ々15~6歳の小娘が親元を離れて
社員寮に入って、寂しさを紛らす為か、未だ々創価学会をの事を何も知らない
寮生が創価学会の勧誘に乗せられて学会に入会して、和子の勤めた会社は
2部制で早番の週は4.30分に起きて身支度をして職場に向かいますが、学会に
入会した仲間は(和子の部屋には居なかった)朝の3.00時から起きて
押入れの下段(布団を入れる所)で学会のお努めをしてお仕事に・・・
又遅番の時は寮生が眠ってから・・・大変ご苦労な事を毎日・・・
当時、和子がこの会社に入社した時に初任給が6,000円で福利厚生を
引かれると、手取りは4,000円程の時代に風の便りで聞く所、学会に仲間を
勧誘すると1人1,000円頂けるとか?未だ々15~6歳の小娘は創価学会
その物より1,000円の魅力で入会した様な・・・大昔のお話し・・・
たずえ姉さんも毎晩、仏間でお経さんを挙げてお参りをして居たかも
知れませんが、同じ浄土真宗の仏教だし、兄ちゃんも親鸞会に入会して居ても
納得済みで結婚したしたのだから・・・当時は何も文句も言わず、
又たずえ姉さんも他人様に進める事のなく穏やかな親鸞会でした。
兄ちゃんは40代の頃から体調を崩し、肝硬変を患い、一年ばかり仕事を
休み闘病生活を続けました。兄ちゃんは若い時は父と炭焼きをして家庭を
助け、世の中も炭や薪からプロパンガスに変わり、炭焼きも採算が合わなく
成った頃に、山林組合に勤め、肝硬変を患う前から山林組合の監守に成って
親戚・知人の方に山の仕事を手伝って貰い大盤振る舞いで頑張って居ました。
肝硬変を患って1年ばかり闘病生活を続けた時もたずえ姉さんは兄ちゃんの
代役で監守を勤めて・・・其れはそれは頑張り屋さんでした。