昔・昔の大昔・・・和子が40代の頃にニットの会社に就職しました。
此処は従業員が50人ほどでニットを編んで、高島屋の通販のガウンとか
ニットのセーターを編んで居る工場で、元々和子は関西の生まれで織物工場で
働いた経験も有り、通勤にはチト不便な所でしたが、横浜で織物の工場って
珍しく、5年4ヶ月程お世話に成りました。
此処は賄いのオバサンがお昼前に成ると来て、お昼の食事を作って呉れて
何時も温かい家庭料理をご馳走に成り、皆さんでテーブルを囲んでお食事を・・・
和子の左隣りのオバサンは、何となく気難しいそうなオバサンで皆さんに
何となく敬遠されて編み物工場の入り口の6畳一間くらいの個室で
テーブルの上にミシンを一台置いて出来上がったセーターやガウンの修正を
して居ました。和子の右側にはケイちゃん・お向かいにはシゲちゃんと・・・
同年代の仲間で楽しいお昼の一時でした。
和子は渋谷さんと言うオジサンと2人で大きな機械でガウンの生地を編み
シゲちゃんとケイちゃんはガウンの縫製工場で動力ミシンを踏んでガウンを
縫って居ました。和子の職場は、星工場長・根岸さん・渋谷さんと
和子と関さんと言う女性と5人の職場で関さんは自宅が近くで何時もお昼は
お家に帰ってましたから・・・余り親しいお友達も居なかった様な感じで
人間関係でもめる様な事も無かったけど・・・やっぱり一階の縫製工場や
2階の洋服の縫製工場では女性陣が多く、人間関係も難しかった様です。
【複雑だ 孫は喜ぶ 救急車(シルバー川柳)】