和子の生い立ち-90〜隆義さんの死〜

2〜3日して東京の実家のお姉さんから夜の11時過ぎに電話が有って
「隆義さんが亡くなった」と・・・享年38歳でした。
お姉さんが言うには「恵子さんから電話が有って『家の人が冷たく
成っちゃった〜』って電話が有るのよ?今お父さんとお婆ちゃんが
隆義さんの家に行ったけど・・・」って
病気で寝込んで居るらしいとは聞いたけど突然の死でびっくり・・・
結局、翌日は警察の検視が入り、司法解剖をするとか?
どの様な死だったかは判りませんが、年中喧嘩の絶えないご夫婦だったので
若しや夫婦喧嘩をして打ち所が悪く死んじゃったのか?とも・・・
何でも後で聞いたお話しだと・・・トイレに起きて来て台所で倒れ
息を引き取ったとか?
夫は隆義さんの死を聞き「あの時よっちゃんの所へ行かないで
隆義の所へ行って遣れば良かった〜そうすれば病院に連れて行って
もう少し長生きが出来たかも知れない」とよっちゃんの家へ
新築祝いに行った事を悔やんで居ました。


未だめぐみちゃんは小学校へ上がったばかりでした。和子は未だ浩ちゃんも
小さくって葬儀には出ませんでしたが、人の人生の儚さを感じ、(私が今
2人の子供を持ち、夫に先立たれたらどうするのだろう?)と思った時
仮に今、未亡人に成っても樋田の家には帰らない。勿論当座は実家に
お世話に成るかも知れない。でも〜私は兄ちゃんに彦根界隈にアパートを
借りて貰って一人で2人の子供を育てる。絶対に樋田の家には帰らない
とは言っても現実にぶつかったら、若しかしたらあにやんのお世話に成るかも
知れない。でも〜和子は一旦出た家には・・・又あの嫌な姉さんの居る家には
帰りたいとは絶対に思いませんでした。兄ちゃんに彦根辺りにアパートを
借りて2人の子供を鍵っ子にしても頑張って立派に育てたいと思った

その後、恵子さんはめぐみちゃんを児童館に預け必死に頑張って
めぐみちゃんを育てられましたが、隆義さんの死後、段々と実家との
お付き合いも遠のき九州の実家に帰りたいと・・・