和子の生い立ち-81〜父の死〜

昭和47年のお正月に親子3人で田舎に帰りました。4〜5日泊って帰る時に
兄ちゃんが「米原まで送って遣る」と言って送って呉れました。其の時
和子のお腹には第2子が・・・
帰って来る途中で兄ちゃんは「親父も大分弱って来たから今度帰って来るのは
親父の葬式に成るかも?」って言ってました。
4〜5日居て和子は左程弱ったとも感じなかったけど「そ〜?」って・・・


2月の寒い日、夫が会社から帰って来て「今日、北川さんが会社に来て
『秋山君も年寄りを抱えて何時、葬式に会うかも知れないから一着
礼服を作った方が良いよ〜?』って言って寸法を取って行った」と言う。
和子は其れを聞いた時(此れって無死の知らせ?)って思い
夫に言うと・・・「そんな事?まさか?」って言ってましたが
和子はお正月に帰った時、兄ちゃんが「親父も大分弱って来たから
今度帰って来るのは、親父の葬式に成るかも?」と言った言葉を思い出し
一寸気に成って田舎の母に「皆さんお元気ですか?」って手紙を出すと・・・
「みな、元気にしてるから安心して下さい」と手紙が届いた。
其れから2〜3日して誠と銭湯に行って帰って来ると大家さんから
滋賀県の小林さんから電話が有ったよ〜?」って教えて下さって・・・
和子は「やっぱり〜?」と父の死を予想し近ちゃんのお宅から実家に・・・
兄ちゃんが電話に出て「親父が脳溢血で倒れたから支度をして帰って
来る様に〜未だ今は昏睡状態が続いて居るから秋山さんまでは帰って
来なくても良いから支度をして和子だけ帰って来い」と・・・
身重の和子は早速洗濯をして喪服の用意をして夫に「来る時にこれを持って
来てね?」頼み、銀行からお金を降ろして来てね?って頼んで翌朝
誠を連れて帰ろうと思って居たら・・・又大家さんのお宅に電話が有って・・・
「秋山さんも一緒に帰って来る様に・・・」と
当時は銀行のATMも無いし9時まで銀行の開くのを待ってる暇も無いし・・・
東京の実家に寄ってお金を兄弟から借りて新幹線に・・・

この年は田舎の方は雪が降らず東京は大雪で田舎に帰るのも大変でした。
それでも11時頃に米原に着き実家に電話をするとたずえさんが出て
「お爺さんは10時頃に息を引き取ったけど気を落とさないでね?」って・・・
享年父は76歳でした。