和子の生い立ちー2 〜泣き虫かーこ〜

5人兄姉の末っ子に生まれた和子は取っても甘えん坊で母の姿が見えないと
大声を上げで泣き叫び、母を捜し歩いたそうです。
和子が5歳の頃長男(義雄)が結婚するから・・・と母屋と棟続きに
6畳2間に内縁付きの総2階の隠居を建てました。
何時も和子は泣きながら母を追い続けるから大工さんが「又金玉笛
(竹の先にゴム風船が付いて居て膨らませるとプワ〜〜〜〜ンと鳴る笛?)
が泣いている」と言って笑われたそうです。
又小学校へ行く様に成っても・・・一寸気に入らないと泣く?
1年生の受け持ちの先生は母の学友だったとか?学校から帰る時、母に逢うと
「今日は和子さんは13回泣かれました。」と・・・

昭和26年4月に大滝小学校萱原分校へ入学。
安物を買うのが大嫌いな兄(義雄)はビロードの花柄の付いた素敵な
ランドセルを買って呉れました。
当時大滝村には川相に本校が有り萱原、富の尾、大君が畑と3分校で
和子は「大滝小学校萱原分校」で6年学びました。
この萱原の分校の同級生は男子6人女子6人内、樋田からは男子1人、
大道敬一さんと女子3人でした。その3人は藤谷好子さん・森静子さんと
和子の3人で和子と好子さんは父方の遠縁に当たる親戚とか?
好子さんとは和子の家の前に田んぼが有った制も有り、大の仲良しで
「かーちゃん・好ちゃん」と良く双方のお宅へ遊びに行き来して良く
遊びました。好ちゃんは4人兄妹で長男に重孝さん、彼女、
下に弟が2人、好ちゃんの父は戦死し母は再婚して下の2人の弟は義兄弟でした。
彼女は長女で義理の父に大事にされて欲しい物が有ると直ぐに買って貰う。
和子とは丸で正反対、5人の末娘に生まれた和子は・・・
「好ちゃんも買ってもらったから・・・私も欲しい・・・」と強請っても
「好子の家は金持ちだけど家は貧乏だから買えない」と
何時も言われ対等にはして貰えなかったです。
好ちゃんは取っても頭の良い子で和子の家へ遊びに来て雑誌を見つけると
雑誌に夢中に成って和子とは遊んで呉れませんでした。表で・・・
「かーちゃん遊ぼう〜?」って声が聞こえると急いで雑誌を隠す始末。
良く隠居の2階で遊んだな〜?

小学校へ入学しても相変わらずの泣き虫で、みんな仲間からは「いんごろう」と
あざ名を付けられて良く苛められました。萱原分校は全生徒で100人足らず
学校の帰りに男の子は和子だけを後ろに残し、男の子が3〜4人で手を繋いで
通せんぼうをし、好ちゃんや、し〜ちゃん、綾ちゃん、ふ〜ちゃんと一緒に
帰して呉れません。みんなお友達は走って帰り、和子は男の子の後ろで
泣きながら・・・すると、田んぼに刈ったばかりの稲のハサの陰に隠れて
和子を待ってて呉れる。取っても嬉しかった思い出です。