「タダなんだから…」高齢母の“タクシー感覚で

   

《和子は又々こんな記事を見た~》

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タクシー感覚で救急車を呼ぶ”クセを治した

        「もっと早くすれば良かった」

 

 

緊急通報ボタンを押しただけ

玄関が開き、救急隊員が家の中に入ってきた。

「大丈夫ですか⁉ どうしましたか⁉」

「うう~胸が痛い~……」

冨美子は床に寝っ転がりながら胸を押さえて痛みを訴える。

救急隊員たちは冨美子をすぐに担架に乗せ、病院へと搬送した。

しかし実際のところ、胸はこれっぽっちも痛くなかった。

ただ緊急通報ボタンを押しただけ。こうすれば、また病院に搬送され、

入院をすることができると思った。最初に搬送されたときは意識が

もうろうとしていたせいで覚えていなかったが、救急車の中は

こうなっているのかとしげしげと見渡した。

「お名前は言えますか?」

救急隊員が話しかけてくる。冨美子はそれに答える。

「もちろん、今野冨美子です」

「生年月日をお願いします」

冨美子は聞かれたことをスラスラと答えていった。救急隊員たちは何か

目配せをしたように見えたが、これからやってくる幸せな時間を思うと、

冨美子は胸が躍るばかりで、そんなことはすぐにどうでもよくなった。

タクシー感覚で救急車を呼ばないで

   

病院についてからも胸の痛みを訴える演技をし、念のためと検査をされた。

しかし異常は見当たらず、自宅で安静にと告げてきた医者に、冨美子は

でも胸が痛いんですと無理を言って休ませてもらうことになる。

「具合はどうですか?」

「ええ、とても元気になりました。ありがとう」

しばらくたって医師が尋ねてくるが、冨美子はもとから元気だった。

「そうですか。それじゃ一応点滴だけ、打っておきますね」

「あの、娘に連絡は?」

「しましたよ。ですが、特に異常もなく、お元気ですので、今日のところは

ひとまずお家に帰っていただいて、もしまた何かあれば病院に

いらっしゃってください」

「え、娘は何も言ってなかったんですか?」

「いえ、お出になりませんでした。一応留守電は残してありますので、

もしかしたらお母さんにご連絡があるかもしれません」

「いや、もっとちゃんと連絡してくださいよ!」  「ですから……」

医者は溜め息を吐き、同じ説明を繰り返すだけだった。結局、冨美子は

入院もなく追い出されるように病院を出るしかなかった。

病院の前から出るバスに乗って帰った冨美子は、家に着くなり幸代に

電話をかけた。長い長い呼び出し音のあと、冨美子の耳に聞こえてきたのは

いつかよく聞いていた幸代の冷たい声だった。

「どうしたの?」

「どうしたのって、こっちのせりふよ。病院から電話あったでしょ?

 どうして来てくれなかったの?」

「はぁ? だって医者が問題ないって言ってたから。それにそんな簡単に

仕事を休めるわけないでしょ」 「私、救急車で搬送されたんだよ?」

「大したことないんでしょ? そんなことでイチイチ救急車呼んだら

迷惑だって」「別にあんなのはタダなんだから、好きに呼んでいいでしょ?」

冨美子は思わず言い返したが、幸代から戻ってきた吐き捨てるような

渇いた笑みは、冨美子の心を深くえぐっていった。

「いやいや、タクシー感覚で救急車を呼ばないで。救急隊員の人たちは

仕事でやってるの。本当は1回の出動で4万5000円くらいかかるんだって。

ちょっと前に話題になってたじゃん。だから、ほんとに困ったとき以外は

呼ばないこと。いいわね」

幸代との通話は、冨美子の返事を待たずに切れてしまった。

救急車を呼んだ原因は…

冨美子はそれからというもの、毎晩のように入院をしていた期間の

幸せだった時間を思い起こした。そしてまた体調が悪くならないかと祈った。

だから唾を飲み込んで喉にかすかな痛みを覚えたとき、冨美子はようやく

来たと喜びを覚えた。うれしくなった冨美子はすぐに緊急通報ボタンを

押して、玄関で救急車の到着を待った。「ちょっと、喉が痛くて息ができないし、

声も出ないんだよ」 「……じゃあ、取りあえず救急車に」

救急隊員の顔を見るや冨美子は前のめりに訴えたが、彼らは担架も使わずに

冨美子を救急車へ乗り込ませる。病院についてから診察を受けても、

誰も冨美子に優しい声をかけてくれることはなく、流れ作業のように

診察を終えた。 「一応……」と、渋る医者から処方箋を出してもらい、

病院を後にした翌日、久しぶりに幸代が実家に帰ってきた。しかし以前とは

打って変わり、幸代が怒っていることは一目瞭然だった。

「病院から電話があった。どういうつもり?」

「何のことだい?」

冨美子は悪びれずに首をかしげる。幸代は深く溜め息を吐く。

「喉が痛くて救急車を呼ぶなんて非常識なことしないで。 私が代わりに

謝ったんだから。 お願いだからさ、恥をかかせるようなことしないでよ」

恥をかかせる、と言われて、冨美子の顔の奥はかぁっと熱くなった。

「だ、だって体調が悪かったんだよ! なんでそんなふうに怒られないと

いけないんだい⁉」 「喉が痛い程度なら、タクシーでも使って病院行けば

良いでしょ。 何でわざわざ、救急車なんて呼ぶのよ⁉」

「だ、だって……」

言いよどんだ冨美子に、幸代はたたみかけるように言葉を重ねた。

「病院の人が言ってた。高齢者の人がこういう不適切な利用をするときは

大抵が誰かの気を引きたいとか、寂しさを紛らわすためなんだって。

どうせ喉が痛いのだって仮病なんでしょ?」  「ち、違うわよ!」

「あのね、救急車を不適切利用したらいけないの。消防法や偽計業務妨害

罰金をとられたりする場合もあるの。知ってた? お母さんは罰を

受けたいの?」 「そ、そんな大げさな……」

「本当よ! 私がそう言われたんだから!」

どうして罰を受けるのかが分からなかった。悔しいのか悲しいのか

分からないのに、顔の奥にあった熱は涙に変わって、視界をにじませた。

「寂しいのは、そんなにいけないことなのかい……」

そう絞りだした瞬間、冨美子の目から涙があふれた。みじめだと思った。

いい年して泣くなんて恥ずかしいと思った。けれど涙は止まらなかった。

「ごめん。言いすぎた」

やがて、幸代のかすれた声が聞こえた。冨美子は視界を覆う涙を拭った。

拭っても拭っても、涙はあふれた。

「ううん、違うわ。言いすぎただけじゃない。ずっとほったらかしにしてて

ごめん。お母さん、お父さんが死んじゃって寂しかったんだよね」

冨美子の身体を、優しく包み込む体温があった。冨美子はその温度に

すがるように、幸代のことを抱きしめ返す。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

冨美子は子供ように泣きじゃくった。

デイサービスは老人が使うもの?

   

それからしばらく、久しぶりに帰ってきた幸代がデイサービスを

提案してきた。 「デイサービス?」

その単語を聞き、冨美子は顔をしかめた。老人が使うものというイメージが

あり、自分がそこまで老けてるつもりはなかった。

「別に介護だけじゃないよ。施設に行けば、同じような世代の人たちと

一緒にレクリエーションができるの」 「え、そうなの?」

冨美子は同世代の人たちと過ごせるということに興味を持った。

「そうよ。お友達ができたら、今よりもずっと楽しくなるんじゃない?」

幸代の提案に冨美子は目を細めた。

正直なところ、デイサービスが自分に合っているかは半信半疑だ。

それでも自分のことを考えてくれた幸代の気持ちに応えるために、

冨美子はデイサービスを受けることを決める。

同じような境遇の友達が数多くできた

あれからもうすぐ2カ月になる。冨美子は介護認定を受け、

幸代が進めてくれたデイサービスを受けられるようになっていた。

最初は老人扱いされているような気がして、あまり気乗りしなかったが、

レクリエーションを通じて同じような境遇の友達が数多くできた。

施設を利用してないときも、携帯を使って連絡を取り合えるように

なったことで、冨美子の生活は一変していた。夫を亡くした寂しさは

癒えてきて、もう救急車を呼んで人の気を引こうなんて考えることもなく

なった。 冨美子が台所に立っていると、玄関のチャイムが鳴った。

手を止めて玄関に向かい、扉を開けるとデイサービスの施設の職員が

笑顔で立っていた。

「おはようございます、今野さん」

「ああ、はいはい、今すぐ準備しますからね」

「あれ、とってもいい匂い。何か作ってたんですか?」

「ええ、今日はみんなでおやつを持ち寄りましょうって話になったから、

マフィンをね作ってみたのよ」

あれだけおっくうだった料理やお菓子づくりも、施設に通うように

なってからは楽しんでやれるようになっていた。

「へえ、いいなぁ。私にも1つ味見させてください」

冨美子は笑顔を浮かべてうなずいた。

                  ♾️♾️♾️ おわり ♾️♾️♾️

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【相合傘 あなたばかりが 濡れている(シルバー川柳)】