「誰に頼んだらいいか?」高齢女性が抱いた不安!?

  

《和子は又々こんな記事を見た~》

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おひとりさまの高齢女性が終活に抱いた不安、

    悩みを打ち明けた相手とは

資産運用に興味がある。必要性も感じている。でも、どうすれば――?

金融機関やプロの力を借りるのは有効ですが、思わぬリスクをはらむことも。

本当に信頼できる、人生を変えるアドバイザーに出会えた人がここに・・・

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 医療ソーシャルワーカーの私が司法書士の長島さんと知り合ったのは、

長島さんが私の勤務先の病院に入院していた患者さんの成年後見人を

務めていたことがきっかけでした。

成年後見人とは、認知症患者など判断能力が不十分な人に代わって財産を

管理したり契約を結んだりしてくれる人のことで、家庭裁判所が選任する

仕組みです。 民法に基づく制度ですが、制度自体が日本ではまだ

認知されているとは言いにくい状況で、それゆえ後見人と被後見人の

親族の間に行き違いやトラブルが生じることも少なくありません。

私が知っている成年後見人の中には、安からぬ報酬を得ながら

被後見人やその親族との面談は年に1度、しかも30分だけという

大物弁護士の先生もいました。

しかし、長島さんは真摯(しんし)に被後見人の方と向き合っていて、

年がら年中、本業そっちのけで被後見人のために飛び回っていました。

ですから、高齢の入院患者・佐々木よし江さんから「私が死んだ後に

後始末をお願いできる人を探している」と相談された時、真っ先に

頭に浮かんだのが長島さんの顔でした。

おひとりさまになった佐々木さんが抱いた不安

佐々木さんは70代で、4年前にご主人を亡くしていました。聞けば、

佐々木さん夫妻は20代の頃にご主人の親が経営する建設会社で出会い

交際を始めましたが、ご主人の親が身寄りのない佐々木さんとの結婚に

猛反対したため、駆け落ち同然で上京したのだそうです。奮起したご主人は

都内で電気整備の会社を興し、一時は従業員を10人近く雇うまで

大きくしました。 しかし、跡取りの一人息子を交通事故で亡くしたことも

あり、5年ほど前には事業を清算し、あらかじめ2人で決めていた

老人ホームに入居しました。肩の荷を下ろしてほっとしたせいか、

ご主人の方はその翌年脳梗塞で倒れて寝たきりになり、佐々木さんの

懸命な看病もむなしく、息を引き取ったということでした。

佐々木さん夫妻はそのうち2人でお墓を探そうと、亡くなった息子さんの

お骨も手元に置いたままでした。一人ぼっちになった佐々木さんは、

ご主人の相続が一段落して自分の終活を始めようとした矢先に体調を崩して

私の勤務先の病院を受診し、末期のすい臓がんという診断を受けたのです。

「会社も自宅不動産も処分して身軽になったつもりだったけれど、

お父さんの葬儀や相続の手続きをするのはなかなか大変だった。

自分にはそういうことを任せる身内がおらず、身内以外で誰に頼んだら

いいかも分からない」

佐々木さんが涙した、長島さんの丁寧な仕事ぶり

佐々木さんには、ご主人から相続した分も含めて2億円近い金融資産が

ありました。きちょうめんな字でその詳細を書き留めたノートを

大事そうに抱えて相談に訪れた佐々木さんを見た時、「この人を放って

おいてはいけない」という責任感のようなものが込み上げてきて、

すぐに長島さんと連絡を取りました。

長島さんは忙しいスケジュールの合間を縫って翌日には病院を訪れ、

佐々木さんと面会してくれました。そして、佐々木さんに負担が

かからないよう休憩を挟みながら時間をかけて話を聞いた上で、

「私がお手伝いさせていただきますから、安心してゆっくり療養して

くださいね」と優しく声をかけました。佐々木さんは涙を流して喜んでいました。

佐々木さんの病状は予断を許さない状況で、すぐに家庭裁判所

成年後見人の申請をする必要がありました。佐々木さんの老人ホームの

担当者やケアマネジャーと相談の上で、後見人候補として中島さんを

推薦しました。推薦した人が確実に後見人に選ばれる保証はなく結構

気をもみましたが、結果的には既に成年後見人として実績のある

中島さんが選任されました。

そして、そこからようやく佐々木さんの終活が本格的に動き始めたのです。

「本当にありがとう。さようなら」最期の願いをかなえた

資産家女性が、手紙にしたためた感謝の想い

   

いよいよ終活スタート。最初に取り組んだのは…

佐々木さんの中で最も優先順位が高いのは、家族で眠るお墓を探すことでした。

佐々木さんは「自分だけならいいけれど、このままでは主人や息子も

無縁仏になってしまう」と焦りを募らせていました。

佐々木さんご夫妻の「海の見える場所にお墓を建てたい」という

希望をくんで、長島さんは千葉県の寺が管理をしてくれる永代供養墓を

探してきました。長島さんがスマートフォンで撮影してきた画像を見る

佐々木さんの顔は心なしか頬も赤く、いつもより元気そうに見えました。

佐々木さんご夫妻の郷里も海の近くだったそうで、「ふるさとのきれいな海を

思い出す。東京の海は濁っていていかんね」と笑顔で話してくれました。

お墓の契約が済むと、長島さんは佐々木さんのノートをベースに

財産の確認や整理をしながら、佐々木さんの希望を聞いて葬儀の準備も

進めていきました。佐々木さんの検査が終わるのを待って医療相談室で

コーヒーを飲んでいた時には、こんな話を聞かせてくれました。

「佐々木さんは資産家だけれど、財産管理はそれほど大変じゃないの。

本当に、あのノートに書いてある通りだから。ノートを見ると、

佐々木さんご夫妻がいかにつつましく誠実に生きてきたかかがよく分かる。

佐々木さんにはもっと長生きしてこれまで苦労した分人生を楽しんで

ほしかったけれど、こうなってしまった以上は一つでも不安や後悔を

取り除くお手伝いをしたいと思う」

長島さんも、私が佐々木さんから感じた「この人を放っておけない」という

気持ちを共有しているのだなと思い、何だかうれしくなりました。

ついにかなった! 佐々木さんの最期の希望

   

 長島さんの行動力に心底驚かされたのは、その翌週のことでした。

その日、長島さんは佐々木さんと同年代の女性を伴って病室を訪れました。

佐々木さんのご友人かと思っていたら、なんとそれは、佐々木さんの

亡くなったご主人の妹さんだったのです。

佐々木さんは残った財産を、自分たちの身勝手のおわびを込めてご主人の

実家に渡したいと考えていました。しかし、当のご主人がいなくなって

しまったことで、自分から連絡するのはためらわれたようです。

その最期の希望を、長島さんが見事にかなえたのです。

「よっちゃん、久しぶり」

「あれから50年もたつから、お互い、年を取ったよね」

仲のいい姉妹のように話す2人の姿には、過去の確執は一切

感じられませんでした。実は妹さんも、ひそかに佐々木さん夫妻のことを

応援していたようです。妹さんは「今は代替わりして私の息子が社長を

しておるけど、地方の建設業界は大変。支援してもらえるのは本当に助かる」

と話しました。 そして、その後も妹さんは遠路、何度か佐々木さんの

お見舞いに足を運んでくれました

長島さんへ遺された手紙

佐々木さんが長島さんやケアマネジャーさんに見守られて息を

引き取ったのは、私のところに相談にいらしてから1年後でした。その頃の

佐々木さんは「最近、お父さんの夢をよく見る。長島さんや相馬さんのおかげで

もう思い残したことはないから、いつでもあっちへ行ける」と笑って

話していました。 佐々木さんが亡くなった後、葬儀や納骨など一切を

取り仕切ったのも長島さんでした。現行法では、成年後見人が

サポートするのは存命の間に限られます。しかし、長島さんは佐々木さんの

意をくんで契約したシンプルな葬儀プランに沿って葬儀を執り行い、

翌日には千葉県の永代供養墓への納骨を済ませました。

そして、死後の行政や金融機関の手続き、相続税の申告、ご主人の実家への

送金などをつつがなく済ませていったのです。

佐々木さんの遺品の中から長島さんへの手紙が見つかったのは、

そんな時でした。 そこには、佐々木さんらしいきちょうめんな字で

「長島さんは私の希望です。人生の最期に長島さんのような人と会えて

幸運でした。本当にありがとう。さようなら」としたためてありました。

私自身、長島さんの仕事ぶりには常々感服していましたが、佐々木さんの

ケースは特別でした。まさに「被後見人に寄り添う後見人」の本領発揮で、

どこぞの大物弁護士後見人に爪のあかを飲ませたいくらいです。

少子高齢化が進み、今後は佐々木さんのように身寄りもなく死を迎える人が

ますます増えることが予想されます。死後も含めた後見制度の法制化が

急がれますが、まだまだ時間がかかるでしょう。そうした中で、

長島さんのような心ある専門家の方々がご活躍されることを切に祈ります。

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【ボールなげ 孫にほめられ ちょっとてれ(シルバー川柳)】