長男が明かした「父・石原慎太郎」の知られざる終活

     

《和子は又々こんな記事を見た~》

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最期に「死んだらつまらない」「ラーメンを食べたい」と

    語った父、田園調布の自宅は「取り壊し」へ、

                    「両親の死」で考えた「墓じまい」

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誰に見守られるでもなく、たった一人で息を引き取る。そして、

遺体の引き取りてもなく、行政によって荼毘に付されるーー。

いまそんな「ひとり死」が広がる現実が、大きな社会問題となっている。

日本を代表する女優の島田陽子さんの「ひとり死」が衝撃をもって

受け止められるなど、高齢化する日本では誰にとっても「他人事」ではない

問題として突きつけられている形だ。そんな死をめぐる最前線を

レポートした『ルポ 無縁遺骨』がいま話題だ。誰にも平等に訪れる死だが、

一体この時代にあって、どのように遺体となり、誰に引き取られるのが

幸せなのか。今回はそんな話題の同書から、元東京都知事

ベストセラー作家の石原慎太郎の「終活」について紹介しよう。

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「完璧に死んでみせる」と語っていた

いつかは誰もが迎える死。逝く人、弔う人の胸中にそれぞれの思いが

あるにせよ、その最期の姿から学ぶことは多い。弔い方が多様化し、

その死生観はこれまでとは変わりつつあるようだ。著名人や専門家の

終活からそのヒントを探る。 元東京都知事石原慎太郎さんの

一回忌の法要が2023年3月5日、神奈川県逗子市の菩提寺・海宝院で

行われた。石原慎太郎さんは最後の最後までベストセラー作家だった。

複数の愛人、婚外子などの存在を赤裸々につづった『「私」という男の生涯』

幻冬舎)を自身と妻の没後を条件に出版し、重版を重ねた。

「完璧に死んでみせる」と豪語した石原慎太郎さんの終活を側で見守った

長男、石原伸晃さんが明かした。

「父がとんでもない本を出しちゃって……。家族は聞いていなかった」と

伸晃さんは苦笑いする。

 

「死んだらつまらない」

膵臓がんで余命3カ月の宣告を受けた21年10月、父、慎太郎さんは

2つのことを伸晃さんに頼んだ。1つ目は「骨は必ず海にまいてほしい」。

約束どおり、散骨式を葉山町の名島沖で行ったのは2022年4月17日。

慎太郎さんが名誉会長を務め、縁が深い葉山のヨットクラブが主催し、

伸晃さん、次男でタレントの良純さん、三男で自民党衆院議員の宏高さん、

四男で画家の延啓さんらが出席した。グラインダーで粉骨した遺骨を

オブラートに包み、ハマグリの貝殻に入れ、伸晃さんらは海に流した。

30艇以上の船が海に出てクラブ仲間がその様子を見守った。

2つ目は「がんの痛みだけは感じないようにしてほしい」。伸晃さんは知人の

ターミナルケア専門の医師に相談し、痛みを取る薬を慎太郎さんに

処方してもらった。がん闘病中、慎太郎さんは病院より「自宅にいたい」と

語った。慎太郎さんの妻の典子さんは当時、体調を崩し、

介護施設に入っていたので不在。

お手伝いさんが身のまわりの世話をし、伸晃さんら兄弟4人は

ローテーションを組んでお正月、お盆など実家にもどり、父親と過ごした。

告知後、死を受け入れた石原慎太郎さんは病床で原稿をつづりながら、

「死んだらつまらない」「あとは頼むな」と繰り返し語った。

 

最後のお正月に「ラーメンが食べたい」と言い出して

伸晃さんは父親に婚外子がいることを30年以上前から打ち明けられていた。

週刊誌の報道などで発覚したとき、4人兄弟は母親の典子さんに

「別れた方がいい」と離婚をすすめたが、母は応じなかった。

亡くなる前に、伸晃さんや弁護士らが見守る中、石原慎太郎さんは

公正証書遺言を残した。自宅に一緒にいたとき、「俺の人生、どう思う」と

唐突に尋ねたことがあった。伸晃さんが「よかったんじゃない」と答えると

「そうだよな」と笑った。

最後のお正月に突然、「ラーメンが食べたい」と言い出し、完食した後に

体調を崩した。 亡くなったとき、石原慎太郎さんは20キロ以上、

痩せていた。その死に顔を見詰めながら「寂しくなるわね」とつぶやいた母、

典子さんも夫の後を追うように1カ月後、84歳で亡くなった。介護施設

元気になったと思った矢先に典子さんは大動脈瘤破裂で突然、倒れた。

「母の死はこたえた」と伸晃さんは振り返る。

政治家時代にメディアの取材を受け、たびたびテレビなどに登場した

慎太郎さんの田園調布の自宅は売却され、2023年10月から

年末までの間に取り壊される。近所に住む男性は「本当に寂しいね。

石原さんが政治家の時代はポリボックスがあり、

周囲は安心だったんですけど……」と話していた。

4兄弟は近所にそれぞれ家を持ち、「貸そうとしたが、

築50年で設備が古いので断念した」と伸晃さん。

2014年ごろから、慎太郎さんは約540坪の敷地に建てた逗子の家を

売却、3200冊の蔵書を逗子市立図書館に寄贈するなど終活をしたが、

田園調布の家にまだ多く遺品が残されていた。

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