「なんで10万だけ?」虐待母の金せびり・・・

                           

《和子は又々こんな記事を見た~》

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吐き捨てた言葉が心に残した大きな傷

 厚生労働省は、令和3年度中に、全国225か所の児童相談所

児童虐待相談として対応した件数が20万7660 件で、過去最多と

発表している。しかし虐待は子ども時代だけのことだけではない。

成人になっても影響を与えてしまう。幼少期から母の虐待に苦しんできた。

若林奈緒音(40代・仮名)さんはそのことを今でも体感している。

自分のように苦しむ人を2度と出したくないと辛い過去を

連載「母の呪縛」にて赤裸々に綴ってくれている。 奈緒音さんの手には

ケロイドの跡がのこり、殴られてゆがんだ顔の骨を、40歳超えてから

やっと治療した。  奈緒音さんは暴力と暴言の虐待を受けていた。

そこから逃れるために高校3年生のときに自立し、ひとり暮らしを始める。

すると始まったのが「金せびり」だった。苦しむ奈緒音さんは、

40歳以上年上の彼のアドバイスを受け、きちんと食事をしながら話をする。

そこで「最後」のお金として10万円を渡した。しかし母の杭から出たのは

次の言葉だった、「なんで10万なの? 海外に遊びに行くくらいの

大金やったんやろ? それやのに、なんで10万だけ?」「大金」とは、

奈緒音さんが泥棒に入られたことで入った保険金のことだ。

洗いざらい盗まれてしまったから入ったお金で、今度は盗まれない

「知識」を手に入れたい、親から許されなかった語学を学びたいと

留学をしていた。そのことを「海外に遊びに行く」と呼び、親がもらうのは

当然と吐き捨てたのだった。さらに母は、そのお金をもらいながらも一緒に

デパートに行こうという。断ると。「それならあんたは帰っていいから、

お小遣いちょうだい。一人で行くから」と口にした。 思わず奈緒音さんは

「もういい加減にして!」と大きめの声で怒鳴ってしまう。

「あんたみたいな娘、お母さんの育て方が悪かったわ。もういいわ、しらんわ!」

捨て台詞をはかれ、奈緒音さんはどうしたのだろうか。

いつか愛してもらえると思っていた

   

「いい加減にして」と怒鳴った後、母は私を気にすることなく

デパート入り口へ向かって行く。私はその場で立ち尽くした。

怒鳴った側の私が、信じられないような罪悪感に襲われる。小さい時から

親が絶対的で、する事なすこと母が決めてきた。母の考えと合わないと

理不尽な理由であろうが殴られた。そのうち殴られたくない、

怒鳴られたくない、家から追い出されたくないなど、恐怖心で

コントロールされていた。親はそういうものだと疑うことなくいた。

けれどその環境が嫌で必死でアルバイトしお金を貯めて実家を飛び出した

はずなのに、常に「自分が悪いのではないか?」と思うように

植え付けられていた。一種の洗脳なのかもしれない。 良い子にしていたら、

いつか愛してもらえると思っていた。助けてほしい時、ただ味方になって

そばにいてほしい時にいてくれなかった母。母にとっての「良い子」は

「母の言いなりになる子」であり、「大きくなれば自分の言うとおりに

働いて親にお金を渡す子」だったのだろう。それが母の思う親孝行なのだ。

でも、言いなりにしても、少しでもそこから外れると殴られ、怒鳴られた。

男の子と歩いている姿を見ただけで、瓶入りの袋で顔を殴られた。

言うとおりにしていても、愛してはもらえなかった。その絶望が私を

苦しめたが、表面上は諦めて自立の道を選んだ。 もう大人になった私は

自分で決断して生きていかなくちゃいけないし、母の愛がなくても、

愛してくれる人を自分で見つけていかなくてはと言い聞かせていた。

希望を見出してしまったからこそ、辛い

   

 そんな私を今愛してくれている年上の彼から「母と会って美味しい

食事をしてきちんと話せばわかってもらえるはずだ」と言われ、

料亭のセッティングをしてもらったことで、私は少し希望を持って

しまったのかもしれない。だからこそ、「やっぱり駄目だった」という

現実が重くのしかかってきたのだ。「産んでくれた親だから」

「それでも親だから」と変えることができない事実をつけてしまうと、

結局私が悪いと思ってしまう。そんなバカな考えは振り切らなきゃと、

頭を抱えて座り込んだ。 このまま二度と会わないくらいの気持ちで

いられたらよかったのに、田舎から電車に乗り継いできた母が無事に

帰れるのか? 駅はわかるのか? と急に不安になり、私の良心が痛む。

気付いたら母の後を追ってデパートに歩き出していた。今また母を

受け入れたら後悔する、良くないとわかっていながら、自分が人として

ダメなんじゃないか? 優しくないんじゃないか? 

と胸が締め付けられるような思いになる。 デパートの入り口付近では、

ある宗教を勧誘する人がチラシを配っていた。興味はないが、

ティッシュなども受け取ってあげないと配っている人に悪い気がする……

周りに対してもいつも気にしすぎている自分の性格がどこまでも

嫌になってしまう。さっと受け取り母を探した。 母は、私が

追いかけてくるのがわかっていたのだ。入り口直ぐの椅子に座っていた。

当然と言わんばかりに、「どうせ来るんだから最初から文句を言わず

来たらいいのに。これ持って」と言って荷物を渡してきた。母の罠に

まんまとはまったなと自分が情けないと感じた。私は黙って後をついて行き、

母が次々選ぶデパ地下のお惣菜やお菓子の会計を済ませて袋にまとめた。

駅まで送り、切符を買って渡した。母は機嫌を直しており、

「じゃあまたね」と言って改札を通り姿が見えなくなった。

いつの間にか彼がいた 

   

 たった数時間なのにどっと疲れが出て、切符売り場の端の壁に

寄りかかってしばらく動けなかった。泣きそうになるのを堪えて下を

向いていた。男性が「大丈夫ですか?」と声を掛けた。顔を上げて

大丈夫ですと言おうと思うと、彼だ。 私と母が食事を終え出たら

連絡を入れてと、料亭の大将にあらかじめお願いしていたらしい。近くで

食事をしていた彼は、母が本当に私の話すような人なのか様子を見に

来ていたのだ。私と母の会話も一部始終を見ていた。「あんな言い方はないよな」と

言ってくれた彼の顔を見たら、子供のようにわんわん泣いてしまった。

人目も憚らずに。この瞬間だけは不倫の立場も忘れてしまって、彼は肩を

抱いてくれた。自分が母に会うように薦めたにもかかわらず、逆効果で

間違いだったかもしれないと謝ってくれた。今後は無理に会う必要はないし、

お母さんに寄生や依存されないようにしなくてはいけないとも。

 泣き止み落ち着いてから私は一人で家に帰り、彼は会社へ戻った。

置いた荷物にふと目をやると宗教のチラシが光っているように見えた。

手に取って読むと、書かれている言葉たちが苦しい状況から

救い出してくれるのではないかと錯覚しそうだった。こういう弱い時、

何かに縋ったり、心の支えや指針が欲しい時、その心の隙間に宗教と

いうのは入り込むのだなと思った。母が阪神淡路大震災の被災を機に

いろんな宗教の勧誘にのめり込んだ理由が少し分かった。

                     ――つづくーー 

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【場を察知 呆けたふりして なごませる(シルバー川柳)