母の呪縛21 後編・・・

     

       《和子は又々こんな記事を見た~》

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神棚の水を取り替えないと口が切れるほど殴られた…

      

虐待母が宗教にすがった記憶

「宗教二世」の問題はここ数年さらに注目されている。

厚生労働省は令和4年12月27日にを公開した。

 

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🧿 背景に宗教等(霊感その他の合理的に実証することが困難な方法により

        個人の不安をあおるものを含む。)の信仰があったとしても、保護者が

       児童虐待の定義に該当するものを行った場合には、

      児童の安全を確保するため、一時保護等の措置を含めた対応を講ずる必要がある。

🧿 児童虐待への該当性を判断するに当たっては、Q&Aで示す例示を

        機械的に当てはめるのではなく、児童や保護者の状況、生活環境等に照らし、

       総合的に判断する必要がある。また、その際には児童の側に立って

      判断すべき。と明記している。しかし、虐待されている親子関係に、

      さらに宗教が加わったのが若林奈緒音さん(40代・仮名)のケースだ。

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奈緒音さんは幼少期から母親からの暴言・暴行に苦しめられてきた。

少しでも早く自立しようと必死でお金を貯めて計画し、高校卒業前に

一人暮らしに成功する。しかし会ったときの暴言はやむことがなく、

さらにお金をせびるようになっていた。

 自分のように苦しむ人をつくりたくないと体験を率直に綴る連載

「母の呪縛」、20回前編では、お金を渡すのは最後にしようと10万円を

渡したときの悲しい体験をお伝えした。後編では、その日に受け取った

宗教のチラシから、過去のことを思い出す。

 中学生のときの母の「宗教」とは

母に絶望し、泣き疲れて帰宅したとき、街中で何気なく受け取った宗教の

勧誘のチラシが目にはいった。母が様々な宗教にのめり込み、私に多くを

強要してきた過去が蘇る。宗教に母がのめり込んだのは、兄と私が中学生、

妹が小学生だった阪神大震災の直後だ。それまでは「きちんとする生活」を

大切にする主婦だった。パッチワークをし、手の込んだ料理をつくり、

部屋もきれいにする。キッチンには自分が大切にしている食器を整然と

並べていた。しかし1月17日のあの日、母の目に入ったのは愛する食器が

粉々になっているところだった。そしてその日から母は

「きちんとした生活」を捨て、変わっていったのだ。

   

ある日突然キッチンに神棚のようなものが備え付けられ、

紙のお札が飾られた。「毎朝一番はじめのお水と炊き立てのご飯を飾ります、

台所で朝いちばんの水道をひねる人がお水を供えるように」と言われた。

小さな鏡のようなモノや金色の高価そうな置きものがキッチンの角に

桐の台に飾られていた。

 しかし、椅子に乗らないと神棚には届かない。イスをつかって背伸びして

やるしかない。 突然加わったルールは毎朝面倒だし、すごい高価なものと

言われたので怖かった。兄と妹は忘れても怒られることはなかったが、

私は許されなかった。

水を供えないと口を切るほど殴られた

朝一番に母は私に「お水替えた?」と聞く。「あ、忘れていた」といったら

「だから地震が起きたんだ!」「なんで言うことを聞けないんだ!」。

平手打ちされて口を切ったこともあるし、髪をつかんで引きずられた

こともある。「私よりお兄ちゃんが早く起きたから」といっても

「お兄ちゃんはいい」と言う。母が一番最初に起きればいいのに、

母は朝食作りもお弁当作りもだんだんしなくなっていた。私は自分で

水筒やお弁当を準備しなければならない。つまり水道を使う。

   

朝いちばんにキッチンの水を使う人が水を供える。一般的な家庭だと

母親がその可能性が高い気もするが、母は絶対先に起きなかった 

 兄が受験のときだったので「それでお兄ちゃんが受験に落ちたら

どうするんだ!」と怒られたこともあった。学校に行く前に殴られ

鼻血出して行きたくない。そこで、キッチンの水道を遣わずに済むよう、

朝はギリギリまで起きず、何も飲まず食わずで学校に行くようになった。

私より母が早く起きているのだから、母がやるだろうと思っていた。

けれどすぐに母は面倒くさくなったのだろう。ある日神棚を見ると、

供えられていたお米は何日も前の物だろう。カピカピになるまで

放っておかれていた。

どんどん「信じるもの」が変わる

それから次から次へと「別のもの」がやってきた。聖書のようなものを

突然読めと言われたこともある。「この宗教を信仰しないとこうなってしまう」と

ガリガリに痩せた様子や障害のあるような様子を書いた小冊子を

渡されたこともある。私はその描写を見ること自体が怖くて仕方がなく、

読みたくないというと「目を背けず読みなさい!これをちゃんと読んで

なかったら受験に失敗するかもしれない。地震が起こったのも、

お母さんの大切にしていた食器が割れたのも信仰が足りないからだ!」と

怒鳴った。(それから間もなく、兄は第一志望に合格した)。

 母は宗教だけではなく、新聞の勧誘すら断らなかった。

震災の年から「阪神大震災の復興の灯」として神戸ルミナリエ

開催されるようになると、今度はそちらに心が移った。ルミナリエ

キャンドル持って追悼したあと、幻想的な中でたくさんの人たちが

心を通わせ、支え合い追悼する儀式に参加したと捉えたのだろう。

「毎日火をともしておかないといけない」とずっと毎日キャンドルが

ともっていた時期もあった。このときは、我が家は毎日火を絶やさずに

ともし続けなければならないと思い込んだ。当然消えてしまう時もあるが、

火が消えているのに気づくと大騒ぎし叩かれるということもあった。

   

    😌 神戸のルミナリエ光祭り 

 母はいくつもの宗教にハマってもすぐに飽きて目移りしていった。

それぞれの宗教の教え自体、大部分では違わない。その内容は都合の良い

解釈をし、儀式的な事をしていること、私たちにお祈りなりを強要しながら

神棚のお水やご飯を変えるなどの行動だけで、自分がいい人間に

なれた気がしたのだろう。救われると思ったのだろう。

   

   😌 キャンドルの火が消えていると怒られたことも 

母にとって都合のよい言葉だけが記憶に残り、その恩恵を被るために

子どもである私に面倒なことをやらせた。こういった母の

パフォーマンスは本質の部分で「信仰心」ではないため、実際に救われても

いなければ、支えにもなっていない。自分の心の軸になることもなければ、

強い信仰心を持って正しく行動をしたり、戒めたり、自分の行動や言動を

振り返り反省することもなかった。

専門学校で学びたい

クリスチャン系のチラシだったので、留学したサンフランシスコで

出会った彼女を思い出した。母を見ていて宗教は何かに縋りたい弱い人の物、

怖いと思っていたけれど、彼女の心からの「信仰」を聞いて、

正しく行えば宗教が人を救うことや学びもあると思った。彼女に出会って

「宗教を信仰する」ということに対しての偏見はなくなっていた。

また彼女に会いたいと思ったし、あの場所に戻りたいと強く思った。
 サンフランシスコでの3週間は、自分一人で決断し、学び、私の事など

誰も知らない世界で、初めて私は私らしくいられた時間だった。母や、

彼に頼って期待することはやめよう。相手に期待をすればするほど、

裏切られたと勝手に落胆するのは自分なのだ。結局、

頼り期待できるのは自分だけ。自分の気持ちをコントロールし、自分が

もつ期待に答えられるのも自分だけ。自分をコントロールしようとして

くる他者から、自分を守れる強い人間になりたい。

     

   😌 留学先のサンフランシスコで素晴らしい出会いがあった 

 自分に対して「どうせ無理」「私にはその価値がない」とすぐに諦めて

ばかりだった。だからこそ、自分を信じて少しでも前に進める自信や強み、

「これだけは他の人に負けないくらいやった、頑張った」と思えるものが

欲しいと思った。18歳でアパレル会社に入社した頃の私は、学もなく

知識もなく、ただブランド品で着飾ることで鎧を身に着け、

自信があるような気がしていた。それらが全て奪われ失った今、持ち物で

強くなった気がするより、他人が持っているものを憧れるより、

知識をつけて、自分に対して本当の自信や価値を身につけたかった。

その為に、下りた保険を使って同時に短大卒業資格も取れる専門学校に

行く事を決めた。

母から「また行くわ」

2年間の授業料を全て自分で支払った上で、生活費を工面することは

できるだろうか?と何度もシミュレーションを重ねた。どの学校が自分に

適しているかなど比べるために、いくつかの学校の資料請求をした。

彼に学校に行こうと思うと打ち明けると、驚いてもいたが海外に

留学されるよりはいいと思ったのか、留学の時よりは好意的に賛成してくれた。

母とのことも実際目の当たりにして、「会うべきだ」といって会食の機会を

作ったことを悪いなと感じてくれたのかもしれない。その日母からは、

「ありがとう」ではなくて、「また行くわ」とだけメール連絡があった。

私は無視せず、あえてメールをした。

   

☎  私「高校の時に進学できなかったから、保険のお金を使って学校に通う。

         だからお金に余裕はないし、今後はもう助けられないと思う。ごめん」
 
☎ 母「今更何の学校に行くの?看護師以外は認めない。手に職以外はお金を

    ドブに捨てるようなもの」

☎ 私「語学。英語を学びたかった。お母さんにとってはそうかもしれないけど、

    私は私のやりたいことを。私の責任でやっていくから。迷惑かけないし、

    頼ることもないから」
 
☎ 母「語学なんか習って何になるん?日本で暮らしているのに。あんたは

    いつも可愛げがない。小さい時からそう。ホンマに嫌な子。勝手にしたら」
 
今回はもう絶対引かないと思った。どれだけ離れようとしても、

「血縁」という事実は変わらない。だからこそ、物理的に、自分の意思で

離れる決意をする必要があるのだ。

これまで私が母に渡したお金は、家族の団らんや幸せの為でもなければ、

病院代や、家族の誰かのためにどうしても必要なお金ではなかった。

そういう理由なら喜んで出せただろうし、出した金額以上の価値も

あっただろう。もちろん返って来るとは思っていない。かつては、

家族で外食をするためにアルバイト代を渡したこともある。

しかしある時から、ただ母が家庭を疎かにし楽しむためだけの交際費や、

好きなものを買いたいがためになっていた。そんなものを出せるほど

私に余裕はないし、「娘だから」と言ってもこれ以上はお人よしに

なれないと気付いた。例え母に親不孝だと言われても。育てた意味がないと

言われても。この時から、私は母にお金を渡すのを一切やめた。

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【孫の声 二人受話器に 頬を寄せ(シルバー川柳)】