両親にすれば四国の彼よりも長浜のお友達の方が同じ県内と言う事で
其れなりに素性も分かるし~大きなお百姓さんの息子さんだから
生活に不自由は無いし・・・「もう一度考えて見たら~」って
言われたけど、未だお付き合いを始めて半年ほどだったし・・・
「百姓はしなくても良いから・・・」と言うのはその場の言葉、結婚したら
田畑を遣らない訳には行かないし・・・和子は都会の憧れを絶対に
捨てたく無かったです。だからと言って今や都会への憧れは無残と砕け
成すすべも有りませんでした。
日野に帰って親奥様の密葬・告別式と・・・滞りなく終わりましたが、
和子は生まれて初めてお葬式の場に立ち、一般のお宅と違い密葬でも
驚くほどの弔問客が・・・約一ヶ月ほど経ってから再度告別式を・・・
朝早くから・・・夜遅くまで其れは大変でした。
親奥様を送り出し旧式な山中家も、もう少し穏やかな生活が送れるかと
思うと飛んでもない・・・他所に嫁いだ子供さんが、この時とばかりに
親奥様の遺品を、我が物勝ちの様に浚い・・・其々の自宅に・・・
未だ若い、和子は「女の厭らしい姿・今迄皇族家の面々の様な振る舞いを
して居た娘や息子の嫁・・・本性を吐き出したかの様なふしだらな姿・・・
【ボランティア するもされるも 高齢者(シルバー川柳)】