思い出ばなし・姉さん(兄嫁)・・・-1

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20歳も年の離れた兄やんの嫁さんは、当時26歳位で4人の子姑さんと両親の居る家に

お嫁に来て、姉やんは、会社の寮に入って居ませんでしたが、7人家族の家に

お嫁に来て小学2年生の和子は未だ々子供でした。

 

姉さんには、お姉さんが2人・お兄さんが2人で長男は和子と同じ歳の女の子を

残して戦死され、兄姉は其々に所帯を持って、母と兄嫁と姪っ子の3人暮らしで

百姓で生計を立てて居て、お母様が孫の面倒を見ながら三度の食事をし、

姉さんは兄嫁と2人でお百姓仕事をし、殆ど家事の事はせず、

主婦業一年生だった様です。

 

小学2年生だった和子には家計のやりくりは、どの様に遣って居たか全然

知る由も有りません。又兄やんと結婚して主婦業一年生だった姉さんは

家の中を整理・整頓すると言う事も無く、だらしない人でした。

尤も和子の母も決して几帳面な人では無かったので・・・

今思えば、他人様が見えると恥ずかしい位、散らかった家でした。

 

恐らく家計のやりくりは兄やんがして、日常の生活費は少しづつ姉さんに

渡して居たのでは?

女系家族で、社会に出てお給料を頂いた経験のない姉さんは小学2年生の和子に

言わせれば、ケチのケチのドケチでした。何せ、「自分の実家に帰って・・・

嫁ぎ先のわが家に帰って来るのに5円のお金が勿体ないから隣りのバス停で降りて

歩いて帰って来る」と聞いた事が・・・そんな兄嫁だから・・・決して悪気が有って・和子が「上履きの藁ぞうりを買うから10円欲しい」と言っても

気持ち良く「ハイヨ~」と言って呉れる姉さんでは無かったのだと思いますが、

幼い和子は、実の両親が居て、立派な兄姉が居るにも関わらず「継子苛め」を

されて居る様にしか受け取れなかったです。

 

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未だ兄ちゃんも結婚せずに実家で同居し、父と親子で山で炭焼きをして居た当時

「俵を編んだら一枚10円遣る」と言って和子にバイトをさせて呉れて

100円稼いで大喜びをして居た当時、村の子供会で彦根松原水泳場に行く事に成り

姉さんに「松原に泳ぎに行くからお小遣い頂戴」と言うと

「この間、兄ちゃんに俵を編んでお金貰ったでしょう?其れで行きなさい」と

言って折角兄ちゃんに貰ったお金迄・・・この姉さんを「継子苛めと同然」とは

誰も思わないかなぁ?  和子は学校を卒業するまで・・・

卒業しても姉さんの苛めは脳裏に焼き付き離れませんでした。

 

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