三国さん・・・-5

和子のお部屋の患者さんは婦人科の病棟で和子以外の方は皆さん

子宮筋腫の患者さんばかりでした。子宮筋腫は術後二~三日すれば

元気に成って二週間もすると皆さん退院して行きます。

その中の三国さんは和子より五歳ほど年上でご主人は辻堂で

本屋さんを営み四歳の可愛い男の子さんが居ました。彼女は前の年の

八月に子宮筋腫を切除し・・・今回は術後の後に腸が癒着し入院を・・・

彼女は入り口のベットですっかり憔悴して一日に一度、窓際に空を眺めに

来るのがやっと・・・の患者さんでした。

 

皆さん筋腫を手術した方は元気に売店に行ってお菓子を買って来て食べたりして

居ますが、誰一人と和子の配膳を廊下のキャスターまで下げては呉れようとしません。色々と理由をくっ付けて・・・

そんな時に三国さんは歩くのがやっと・・・と言う様な病弱な身体で和子の

配膳をして呉れたり・・・「寝たきりで動けないのは大変ね?」って和子に労いの

言葉を掛けて呉れました。

確かに皆さん、大変な手術をされた方ばかりだから・・・

でも~和子はせめて数日でも大変な思いをしたら・・・もう少し温かい手を

差し伸べて呉れても良さそうに・・・

 

 

【二世帯を 建てたが息子に 嫁は来ぬ】

三度の食事が苦痛・・・-4 

和子の病室は六人部屋で和子は窓際のベットでお天気の良い日は青空が見えて

十四日間の闘病生活にはささやかな救いでした.。

 

 術後四日目から三度食事が出るのですが、仰向きに寝たきりで

絶対に身動きは出来ず、家政婦さん(今で言うヘルパーさん)が

和子の枕元に食事の乗ったお盆を置いて行って呉れるのですが、横目で見るだけじゃ

手の付けようが無いです。今の様に立派なリグラインのベットじゃ無く

只の真っ平らなベットで頭を上げる事も出来ず、顔の横に置いて有る食事を

探りながら・・・(涙・・・)義母が毎日洗濯物を届けて呉れるのですが、

二月の寒い時期、和子の夕食の出る時間まで居て呉れて、せめて夕食くらい食べさせて呉れても良さそうだけど・・・食事の出る前に「和子さん誠君が待ってるから

帰るね?」って帰っちゃう・・・(涙・・・)

 

この時に和子の担当の家政婦さんは南波さんと白鳥さんと二人で、赤十字病院は看護学校の生徒さんが実習に見えてて・・・白鳥さんは取っても優しい方で

「もう少し、したら食事食べさせて上げるから待っててね?」ってお声を掛けて呉れて何時も食べさせて下さいました。所が南波さんは「貴女だけが患者さんじゃ無いから自分で食べなさい」と言って枕元にポンと置いて行く。

確かに和子だけが患者さんじゃ無いから・・・ご尤もだけど身動きの出来ない患者に

向かって言う言葉???和子はこの言葉にプチ、切れしたね?

勿論配膳もして呉れない?偶に見える看護学生さんにお願いして配膳を

お願いしたり・・・

 

【改札を 通れず良く見りゃ 診察縁】

 

四時間の大手術・・・-3

赤十字病院の泌尿器科の部長・石塚先生は取っても穏やかな名医さんで「子供さんも未だ小さいし・・・手術は夏休みに成ってからでも良いよ~」って言って

下さいましたが、夫は「切羽詰まった病気だったらその様な事も言ってられないし・・・思い切って手術をすれば・・・」って事で十四日間の地獄の闘病生活に

月の物が来るのだけは避けたいので・・・それを計算して二月に二人の子供を

義母に預け、入院しました。四時間の手術を終えて病室に戻り麻酔から覚めた時に石塚先生と藤井副部長先生が病室に見舞って下さり・・・

「和子さん、良く頑張ったね?此れが結石だと~」と見せて呉れた結石は浅田飴の缶に山盛り一杯、何度も手で掴んで見せて下さいました。

 

この日から地獄の闘病生活・・・

手術をするとガスが出るまでは絶食で点滴のお世話に・・・4日目の夜9.00頃にガスが出てナースセンターにブザーで知らせてやっとお水を口にする様に成りました。和子の腎臓結石の手術は当時、横浜赤十字病院で2度目の大手術だったとかで「ガスが出た・・・」と連絡をすると即、石塚部長先生と藤井副部長先生が病室に見舞って下さって「和子さん、良く頑張ったね?もうお水を飲んでも良いよ~」って(笑)和子は嬉しく成って・・・「先生~熱~い煎茶が飲みたい~」って言ったら・・・「大変な大手術に耐えたから、じゃ~美味しいお茶を持って来て上げる~」って(笑)「でも~貴女だけだよ~お茶の差し入れを貰うのは・・・(爆笑)」あのお茶は最高に美味しかったな~

 

【三時間 待って病名 「加齢です」】

 

暮の忙しい時に・・・-2  

あれ以来痛みも無く、毎日通常の生活を・・・朝九.00~十六.00迄スーパーで働き

何事も有りませんでしたが、開業医の先生から「片方の腎臓は大きな結石で

動いて無いから早く手術をして切除しないと元気な腎臓もダメにし透析する様に成る」と言われるけど~、暮でスーパーは猫の手も借りたい程の忙しさで「赤十字病院へ入院するから休みます」と言っても誰も信じて呉れない。

和子はその事情を先生に話して「年が明けて休暇が取れたら赤十字病院に行きます」と言うと・・・先生も納得して呉れて・・・「じゃ~毎日お勤めの前に尿を置いて行きなさい」と言われ・・・新年明けて赤十字病院に行く頃は開業医の和子のカルテは分厚い本に成って居ました。

 

赤十字病院の泌尿器課の石塚先生の診察を受けると・・・

「腎臓の中に大きな結石が出来て、この結石は腎臓の大きさの2/3程有ります。

この当時(昭和五十二年頃に)今はお腹を切って腎臓を切って結石だけ切除する事が出来て八十%腎臓は復活して健康な腎臓をダメにしても充分健康で居られます。ですが二週間ほど絶対に動いちゃ腎臓が癒着し、今度は腎臓も切除する結果に成るから二週間身動きしない覚悟で入院しなさい」と宣告されました。

 

【味のない 煮物も嫁の おもいやり】

在宅・訪問介護に成ったのは・・・

突然の激痛―1

  和子は33歳の頃に・・・子供も学校に行きだし、駅前のスーパーに二年程

勤め、一年に成ろうかと思った時の暮に、夜中に突然の激痛を覚え3時間ばかり失点八倒の苦しみを2晩続け・・・最初の夜は(何だったんだろう?)って思いながら

床に着きましたが、流石に3日目の夜は恐怖で・・・でも~その3時間だけで

通常にスーパーで働き、3日目の夜は気休めに正露丸を飲んで寝たら痛みも無く無事でした。でも~毎晩が恐怖だったし~夫から「お医者さんに行くように・・・」って言われても昼間は何でもなく元気に働いて居るのに・・・「何てお医者さんで言うの?」て感じでしたが、でも~苦しんだのは事実だから・・・

「先生~此処が痛かった~」って言おうと思い、スーパーの帰りに開業医に・・・

先生は「若しかしたら十二指腸潰瘍化も知れ無いから検査して上げる」と言われ

改めて・・・空腹で胃の検査を・・・

 

日を改めて結果を聞きに開業医に行くと先生は和子の顔を見るなり・・・

「貴女は腎臓の検査をした事有るか?」と大分興奮状態で???

「いいえ?腎臓の検査などした事無いです」と言うと・・・先生は・・・

「腎臓の中に大きな結石が有るぞ~此れじゃもうこの腎臓は動いて無いから

反対の腎臓に負担が掛かるから・・・即、赤十字病院を紹介して上げるから

早く行きなさい」と???

あの二晩以来、何事も無く日々元気に働いて居るのに~まるで狐に摘ままれた様な衝撃でした。

 

【紙とペン 探してる間に 句を忘れ】

 

あれから5年2ヶ月・・・

横浜ロイヤル・パークホテルのランドリー工場を60歳で定年退職して

雇用保険を頂きながらヘルパー2級の資格を取りヘルパーさんに・・・

今迄、長年通勤で会社勤めをして未だ60歳でお家に籠るのも寂しいし

定年を迎えたオバサンをもう一度会社勤めと・・・言ってもビルのお掃除程度

和子は当時は未だ「お掃除オバサン」にチト抵抗が有って・・・ヘルバー2級の資格を取り施設で働きたいと思いました。ですが~施設は夜勤も有るし・・・

だからと言って在宅・訪問介護でバイク移動も???散々迷いましたが、

定年を過ぎたオバサンが「夫の寝て居る時にまで働く」と言えば・・・

夫も子供も絶対反対するだろうと思い、又和子自身も夜勤は好ましく無いので

在宅・訪問介護に・・・実は・・・   続きは次回のお楽しみ・・・(笑)

 

LED 使い切るまで 無い寿命・・・(シルバー・川柳)】

 

5年2ヶ月振りに帰って来ました。

すっかりご無沙汰をしました。「和子の日記」を途中で放置してぶらり旅に出て 5年2ヶ月・・・有るサイトに立ち寄ってミニメを初め・・・大勢のメル友さんからメールを頂き、少~~~し若返り楽しい一時を過ごしましたが、夫や子供の居るオバチャンには高いハードルが有って其処を飛び越える勇気は無く又「和子の日記」に戻って来ました。その節は「アンケートの行方が気に成る男」さんや「新大久保」さん、その他の方から、温かいコメントを頂き有難うございました。又此れからは毎日は無理でも日々の出来事を「和子の日記」に【シルバー川柳】等を添えて、綴りたいと思います。どうか皆様、お眼に止まったら温かいコメントを宜しくお願いします。<m(__)m>

 

 【日帰りで 行ってみたいな 天国へ・・・(シルバー・川柳)】