思い出ばなし・関さん夫婦のその後-1・・・

 

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和子は、たかしさんが亡くなった時に、長男は4歳に成る前で次男は未だ

生まれて数ヶ月でした。あの時たかしさんは38歳で一年生に上がるか

後一年と言う頃でした。その時、人間の「儚い命」と知った時に・・・

(若し、和子が今、未亡人に成ったらどうするだろう?両親や兄姉・身の回りの

人達から「何も分からないのに~東京なんかにお嫁に行って

絶対泣いて帰って来るよ~」と思われながら、都会に憧れて東京に来たけど~

今2人の息子を抱えて未亡人に成ったら・・・それでも和子は田舎の実家に

居座る気持ちは毛頭なく・・・

一旦は田舎の実家に身を寄せて、兄ちゃんに彦根あたりにアパートを借りて貰って

2人の息子を鍵っ子にしてでも頑張る)と心に決めた事が有りましたが

果たしてその現実にぶつかったら・・・如何なるか?は分かりませんが・・・

 

今、みつ子は幼い3人の子供を抱えて、夫が脳梗塞で倒れてマジで地獄の

どん底落とされて、動けない夫に文句ばかり言われて~大変だと思いますが、

中々援助をして上げられる程の余裕は有りませんでした。

 

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相模原に居るよっちゃんの奥さん、ひさちゃんは、和子の所に良く電話を掛けて来て「今朝は4.00時に起きてみつ子の所に野菜を届けて来た」とか?

「東京のお兄さんはみつ子に生活保護の手続きをして遣れば良いのに・・・

冷たいお兄さんだね」とか言って3日と明けず、仕事から帰って来て夕飯の支度の前に

一息着いて居ると電話が掛かって来る。それが何か月位、続いただろうか?

最後の方には「又ひさちゃんなの?」って言いたく成る位・・・

 

親戚中でみつ子の将来を案じ、お姑さんやお姉ちゃんは、色々と差し入れを

して居た様です。そんな親戚の皆さんの心配も他所に、みつ子は長男を大学にまで

入れて・・・親戚中で心配をするほど大変な生活だったらみつ子の長男も

「俺は大学を諦めて高校卒業したら働く」と言うだろうに・・・

此れってみつ子の見栄? ((^▽^笑) )

 

【欲しかった 自由と時間 持て余す(シルバー川柳)】