和子の生い立ち-19〜部屋長さん〜

横巻からサイジングに異動に成り、此処は3部制で和子は夜勤は
しませんが、お昼の交代も夜の交代も2部制の職場とは違い
やっぱり加工工場も3部制で、和子はお部屋も加工工場の人達と
同じに成りお部屋も変わりました。
丁度その頃だったか、県内でも数少ない鉄筋の4階建ての寮が出来て
中寮と称し、和子達は中寮2階の12号室でやっぱり8人!
6人は加工工場の人達と和子と東工場のサイジングの雨宮さんと・・・

大平さん、西田さんと後、もう1人何て言ったかな?
皆さん同級生だったと思う。新しいお部屋に成って暫くしたら寮長さんから
「部屋長さんに成って下さい」と言われました。昭和37年の夏、
和子のお部屋は皆さん同級生だったと思うけど、加工工場の仲間が多く
和子が部屋長に?加工工場の人達から「生意気だ〜」って
言われそうで和子は一旦断りましたが、
「大平さんを副として2人で頑張って下さい」と言われ、
引き受けざるを得なく承知しました。同期140人の中で
和子が部屋長に成ったのはトップでした。
でも〜お部屋の皆さんも和子が部屋長に成った事を賛成して呉れて
「小林さん・小林さんと・・・」と付いて来て呉れて無事に
役目を果たす事が出来ました。